小さな努力を続けていれば大きな成果が得られることを「塵も積もれば山となる」と表現します。 これらは積み重ねることの大切さを説いたことわざです。 しかし、そもそも「塵も積もれば山となる」はどこから来た言葉なのでしょうか?
ここではそれら「塵も積もれば山となる」について解説します。 特にその意味はもちろん成り立ちや類義語についても説明するので、ぜひ参考にしてみてください。
目次
「塵も積もれば山となる」とは
「塵も積もれば山となる」の由来
「塵も積もれば山となる」の類義語
まとめ
「塵も積もれば山となる」とは

まずは「塵も積もれば山となる」の意味を見ていきましょう。
「塵も積もれば山となる」の意味
「塵も積もれば山となる」とは小さな努力を続ければ大きな成果が得られることの例えです。
「塵」のようなものであっても数多く積もり重なればやがては「山」のように動かしようのない高大なものとなります。 要は積み重ねることの大切さを説いたことわざと言えるでしょう。
「塵」はゴミやつまらないものの例えではない!!
「塵」はゴミなどを表しているわけではありません。 もちろん、つまらないものを指すわけでもありません。
これらは「微塵」などと同じで非常に細かなものを意味します。 それらを積み重ねることで結果に繋げることを「塵も積もれば山となる」と表現するわけです。
つまりは比喩的な表現として使用されているものと言えるでしょう。
「塵も積もれば山となる」の由来

ここからは「塵も積もれば山となる」の成り立ちをまとめます。
出典は仏教書『大智度論』の一節から
「塵も積もれば山となる」は仏教書「大智度論」の一節から来ていると考えられています。 これは2世紀~3世紀頃のインドの仏教哲学者、竜樹が注釈を加えた仏典を意味します。
そこに「微塵を積みて山と成し、移動するを得べきこと難きが如し」とあるのだとか。 これは微少な「塵」を積み上げて作り上げた「山」でも動かすことが困難であることを言っています。
特に仏教の世界では小さな立腹や欲望でも、それを重ねていくといずれは魂が救われなくなることを言った比喩的表現とされるとか。
日本では古く「古今集」の序にほぼ同じ内容の記述が見られます。 これらは江戸時代に入る頃から現在の形で使用されるようになったと言われています。
事実、当時は「江戸いろはかるた」にも収録されるほど浸透していたのだとか。
その後、近代に入ってからは貯蓄を奨励する標語などとしても使用されるようになったとされています。