このコラム欄でイタリア人の脳外科医の話を紹介したことがあった。人間の心臓移植は今日、世界各地で実施されていることで、もはや珍しくはないが、イタリア人外科医は頭部の移植を試みようとしたから、メディアでも結構話題となった。血液を体中に送り出す役割の心臓の移植とは異なり、頭部を移植すれば、「私」は自動的に新しい肢体に移動すると考えられるからだ。

夜空を見上げる人(写真・Greg Rakozy撮影 Unsplash)

臓器の移植では、移植の前後で患者の生活様式に変化が出てくるケースもある。例えば、腎臓移植をした女性が手術後、無性に走りたくなったという。手術した医者によると、腎臓提供者はマラソンを趣味としていたというのだ。女性は腎臓と共に臓器提供者の生活スタイル、嗜好をも受け継いだわけだ。(『私』はどこにいるの?」2015年5月24日参考)。

一時期、心臓周辺に人間の精神生活を司る中心の「私」が潜んでいると考えられてきた。しかし、どうやら心臓は「私」の住処ではなく、単なる血液や栄養素の運搬ポンプ機能を担っている器官ということが明らかになった。そこで「私」探しの次のターゲットは頭部に移った。だから、イタリア人外科医が頭部移植計画を発表した時は非常にセンセーショナルに受け取られたわけだ。

多くの脳神経学者は今日、頭の中に精神的機能を司る神経網が張り巡らされていると主張している。他者に同情したり、怒ったりする心の働きが脳神経のどの部分によって生じるか、今日の脳神経学者は詳細に知っている。だから、脳神経学者は「私(心)は頭の中にある」とかなり確信している(「ミラーニューロンが示唆する世界」2013年7月22日参考)。

オーストリア国営放送(ORF)の科学欄で興味深いテーマが報じられていた。タイトルは「Wo der Glaube im Gehirm sitzt」(信仰は頭のどこにあるのか)だ。記事は「25年の間、神経科学者たちは脳のスキャンを使って、霊的および宗教的な経験の場所を特定しようとしてきた。最新の研究によれば、脳幹の進化的に古い領域が重要な役割を果たしていることが分かってきた。宗教的感覚は、初期の人類の生存にとって有利に働いたかもしれない」というのだ。