仏教では「捨てる」、「捨離」という言葉がある。不必要な万物、思考を捨て、そこから自由になることが幸せに通じるというのだ。その意味で、ミニマリズムの歴史は長い。出家して修道院にこもり、真理を追究する人生もその時代のミニマリストだったといえるかもしれない。私たちは多数の不必要な万物に囲まれている。例えば、20枚、30枚のTシャツを持っていても、着用出来るシャツは1枚だけだ(ウィーンでは慈善団体「カリタス」や「フォルクスヒルへェ」が不必要な衣服を集めて、困っている人に提供している)。

参考までに、ミニマリズムは中国で現在、若い世代で広がる「低欲望主義」とは違う。「躺平(タンピン)主義」の日本語訳の「低欲望主義」は、「食事は日に2回でいいし、働くのは年に1~2カ月でいい。寝そべり(低欲望)は賢者の行動だ」といった哲学だ。ミニマリズムは低欲望主義ではなく、溢れる万物から解放され、快適な生活を享受するための積極的な対応だ。だから、ミニマリズムがニヒリズムに陥る危険は本来少ないはずだ(「『ニヒリズム』と中国の『低欲望主義』」2021年7月18日参考)。

ただ、21世紀のミニマリズムは決して容易ではない。独週刊紙ツァイトは2020年1月30日、「なしでやっていく余裕がなければならない」という見出しで、ミニマリズムが「捨てる」という本来の世界とは別の新しいビジネスへの入り口となっている、と警告を発していた。同紙は「ここにきてミニマリズムは広告業界に完全に乗っ取られ、意味のない形で再解釈されている。今日のミニマリズムへのオマージュは、超富裕層や国際企業によってもたらされている」と批判している。

「ミニマリスト」を自負する若い世代が増えてきたが、コマーシャルに乗って多目的の高級品に代えただけ、といった生き方が少なくないのかもしれない。いずれにしても、万物を愛をもって管理することは、多くの人にとってハードルが依然高いのだ。

編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年7月24日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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