「人権」といえば、生命、自由、尊厳の権利、「言論の自由」が頭にすぐ浮かぶが、「『宗教の自由』なくして人権は完全となり得ない」「宗教の自由は社会の中心に位置すべきだ」といったキリスト教会関係者の主張はキリスト教文化圏に属さない日本人にとって少々違和感を覚えるかもしれない。
参考までに、人類の文明史の発展をヘレニズムとヘブライズムに分類して分析する見方がある。アダム家庭でのカイン(長子)のアベル(次子)殺害以後、歴史はセツ(3子)の血統とカインの血統に分かれ、世界はヘブライズム(神主義)とヘレニズム(人本主義)の2大潮流を形成し、ヘレニズムは最終的には神を否定する無神論世界観を構築し、共産主義となって出現してきた。
だから、共産主義はカインの系譜から生まれた思想であり、その根底には憎しみ、恨みが溢れている。労働者に資本家の搾取を訴え、その奪回を唆す。神を否定し、暴力革命も辞さない。そのカインの思想、共産主義を如何にソフトランディングさせるかが人類の課題となる。
一方、神の信仰を有してきた欧米諸国は神を失い、社会は世俗化し、肝心のキリスト教会は聖職者の未成年者への性的虐待事件の多発などでその土台が震撼、生きた神を証できなくなった宗教は生命力を失ってきている。
ローマ・カトリック教会の前教皇ベネディクト16世は2011年、「若者たちの間にニヒリズムが広がっている」と指摘していたことを思い出す。欧州社会では無神論と有神論の世界観の対立、不可知論の台頭の時代は過ぎ、全てに価値を見いだせないニヒリズムが若者たちを捉えていくという警鐘だ。簡単にいえば、価値喪失の社会が生まれてくるというのだ(「“ニヒリズム”の台頭」2011年11月9日参考)。
要するに、ヘレニズムもヘブライズムもここにきて発展の原動力を失ってきたのだ。人本主義と神主義を止揚する新しい世界観が求められてきている。換言すれば、理性と信仰の調和だ。「世界人権宣言」75周年を迎えた今日、ヘブライズムの復興(リバイバル)を叫ぶ新しい宗教が現れなければならない、という結論になるわけだ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年7月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。
提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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