不平等の背景には大まかに2とおりあると思います。1つは能力的問題、もう1つは一般社会で相いれにくい習癖、宗教観、振る舞い、思想などを背景とする問題です。かつて日本人がジャップとかイエローモンキーと言われたり、アメリカのWASPは後者でしょう。能力的差別とは例えば仕事における粘り強さや自己改善意識、成長願望などがぱっと思いつきます。これは同じ人種間でも起きうるわけで、アメリカではトランプ支持派とされる比較的低学歴の人たちと高学歴派との差は好例かと思います。
法の下の平等は「言うは易く行うは難し」です。世界の基準も違うので、白人社会が決めたルールが必ずしも正しいという訳でもありません。これを書く私自身、完全なる法の下の平等を自分は履行しているのだろうか、と考えると頭では分かっていてもなかなか行動が伴わないこともあったかもしれません。個人的には下駄を履かせるのはむしろ失礼ではないか、と思っています。下駄=色眼鏡ではむしろ潜在的差別意識を増長しかねません。むしろ弱者の声を聞きながらも改善方法を共に考えるスタンスが大事なのだろうと思っています。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年7月4日の記事より転載させていただきました。
提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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