一週間ほど前、産経が「動画は『放送』でなく『配信』で チューナーレステレビが活況」と報じていました。テレビからチューナーを除した大型モニターが着実に売れ始めているというものです。
そもそもはNHKの受信料問題に端を発しています。NHKだけが映らないテレビを持つことでNHK受信料を払わないことは違法かどうか争われた裁判で訴えた女性は敗訴でした。地裁と高裁で判断が分かれたその理由は購入時にNHKが映らないチューナーの仕組みになっていたとしてもその後、再度NHKが見られるよう自分で細工できるかという技術的要素に視点を当てたためでした。

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それを踏まえ、ドンキがそもそもチューナーがないテレビ、つまり、モニターなら大丈夫だろうという判断でソロっと売り出したところ、大ヒットしたものです。これはNHKどころか地上波の受信ができないのでテレビという商品ではなく単なる画面(モニター)であるわけです。これなら受信料を請求しようがありません。今回の産経のニュースはNHK問題とは切り離し、そもそも若者のテレビ離れが進んでいる中で大型画面でユーチューブ、ネットフリックスなどネット配信の番組をみるための機種が売れていると捉えているところがポイントです。
私もカナダでケーブルテレビの受信料が見もしないのに月々6-7000円程度払うのが馬鹿々々しく6-7年前に契約を切ってしまいました。それ以降も何ら不自由はありません。当時、日本語放送が受信できないじゃないか、とも考えたのですが、生活時間が不安定だし、そもそも見るとしてもニュースぐらい。そのニュースは日米加のものを含めネットでいくらでも配信があります。極端な話、日本のバラエティ番組も放送から1日ぐらいはユーチューブに上がっています。ドラマはそういうポータルサイトがあるのでCMがウザいけれど視聴は可能です。
では私が気になる「テレビ離れが引き起こすオタク感」とは何でしょう?それは似たような配信番組を見続けてしまうことによる知識の偏りです。特定分野についてまるで自分で能動的には何もしていないの受動的に深い知識を持つことができます。ただ、その内容に則した狭いオタクの世界だけを見続けるので全体の中でそれがどう位置づけられるのか見えなくなるのです。
例えば「帰ってきた虎ノ門ニュース」でも「正義のミカタ」でもコメンテーターの色が強く出た視点を強く主張するのでそれに感化されやすくなるわけです。