ただ、慎重派も法制化を遅らせるのでなく、対案を出したり、急進派とは違う立場の有識者を育てたりして主導権を握ることに注力するのが正解だろうと思う。
LGBT法案については、立憲・共産・社民案(超党派合意案)の「性自認」、自民・公明案の「性同一性」の原語である維新・国民案の「ジェンダーアイデンティティ」となったのだが、「性自認」は急進的な自治体や運動家が使ってきたので彼らの主張に引っ張られる可能性があったし、「性同一性」という表現は推進派が嫌ったためで、「ジェンダーアイデンティティ」は、あまり使われてない表現なので良くも悪くも白地だ。
一方、「全ての国民が安心して生活することができることとなるよう留意」し、「政府は、その運用に必要な指針を策定する」とされ、生物学的女性が不安に思わないような指針を政府や自治体が作り、管理者が不当な要求を認めてはいけないという原則がはっきりした。
今後、法律施行に向け、政府内外に啓蒙活動や制度運用に当たる組織ができてくるだろうが、そのメンバーが推進派だらけになっては法律の趣旨が捻じ曲げられてしまう恐れがある。
学校での理解増進についても、「保護者の理解と協力を得て」とされたので、急進的な教育現場での行き過ぎは抑止できるようになった。
せっかく最終案で急進派が暴走しないよう、歯止めをかけることに成功したのだから、実施段階においてもバランスの取れた考え方に沿って、国民の啓発と制度運用がなされることに全力を尽くすべきだろう。
なお、そもそもの議論に始まる経緯とか、公明党とのやりとりについては、この最終段階でのやりとりについて、『同性愛が犯罪だった欧米と日本は違う…「日本人に合ったLGBT政策」に本当に必要なこと』で詳しく書いたので、ご一読いただきたい。
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