それほど長くはない人類史において、膨大な数の国が現れては歴史の闇に消え去っていきました。
数千年も繁栄した国もあれば、わずか数日で滅亡した国もあります。
では、その中で「世界征服に最も近づいた国」はどこだったのでしょうか。
マッコーリー大学(オーストラリア)の歴史学者であるマーティン・ボンマス教授が、あらゆる面を総合して本気で回答しました。
世界人口の44%を支配、1位は「アケメネス朝ペルシア」?
「世界で最も大きかった国」という項目でギネスブックを開いてみれば、意外にも答えはあっけなく出ています。
それは、BC480年頃の「アケメネス朝ペルシア」です。
遊牧イラン人が建国し、全盛期にはオリエント一帯を征服しました。

当時の世界人口、約1億1240万人のうち約4940万人がアケメネス朝の支配下にあり、なんと全体の44%を占めていたのです。
確かに、人口比率で言えば最も強大な帝国でしたが、ボンマス教授はこれに同意しません。
「人口比率は国の大きさを測るひとつの指標にすぎず、それだけをもとに異なる時代の国を比較するのは無理がある」と指摘します。
例えば、日本の人口は世界比率の中では微々たるものですが、それでも1億2700万人を超えています。
それでは、真に最大の国と呼べるのはどこなのでしょうか。
それでは、シンプルに最も大きな領土を誇った国ならどうでしょう。
それは1200年代に最強と言われた「モンゴル帝国」です。
有名なチンギス・カンが1206年に建国した遊牧国家で、版図を拡大する勢いは凄まじいものでした。
最盛期は世界の陸地の4分の1、約3300万平方キロの面積を支配しています。「ひとつながりの国」の中では、文句なくナンバーワンの広さを誇りました。

しかし、ボンマス教授は「モンゴル帝国でも世界最強の国とは言えない」といいます。
その理由として、国家が比較的短命である点と支配領域を維持が不安定だった点をあげます。
確かに、モンゴル帝国は建国からわずか88年で、チンギス・カンの子孫が支配権をめぐり争ったため、4つの領土に分裂してしまいました。
また、領土の拡大スピードは速かったものの、安定した国家を築くことができていません。
ボンマス教授は「最強の帝国と呼ぶには、ある程度の平和な期間があり、その間に領土の維持と国家の繁栄を達成していなければならない」指摘します。
史上最強の国は「大英帝国」
そこでボンマス教授が最強の国に選んだのは「大英帝国」です。
諸説ありますが、その始まりは1500年代後半と言われ、繁栄期間が「第1帝国」と「第2帝国」に分けられます。
世界各地に植民地を作って支配域を拡大し、最盛期の領土(モンゴル帝国のように繋がってはいないものの)は、約3370万平方キロとモンゴル帝国を超えます。
下図の旗が立っているエリアはすべて大英帝国の実質的な支配下にありました。

ボンマス教授は「あまりにも巨大だったので今日では理解に苦しむでしょう。支配域は陸地だけでなく、世界の海も含まれました。文字通り、太陽は大英帝国の上に沈まなかったのです」と述べています。
また、大英帝国は多くの植民地の他に、「英連邦王国(コモンウェルス・レルム)」と呼ばれる、英国元首をトップに置く国家を世界各地に持つことで、安定した繁栄期が長く続きました。
大英帝国の終わりは、香港を中国に返還した1997年で、大多数の歴史家の意見が一致しています。
実に400年近くにわたり、大規模な領土の維持と繁栄を誇った大英帝国こそ、世界征服に最も近づいた国と言えるでしょう。
参考文献
livescience
提供元・ナゾロジー
【関連記事】
・ウミウシに「セルフ斬首と胴体再生」の新行動を発見 生首から心臓まで再生できる(日本)
・人間に必要な「1日の水分量」は、他の霊長類の半分だと判明! 森からの脱出に成功した要因か
・深海の微生物は「自然に起こる水分解」からエネルギーを得ていた?! エイリアン発見につながる研究結果
・「生体工学網膜」が失明治療に革命を起こす?
・人工培養脳を「乳児の脳」まで生育することに成功