「真綿で首を締める」も間違いではない
これらの表現は通常だと「真綿で首を絞める」と書くことが多いです。
しかし「真綿で首を締める」でも間違いではありません。 そこはどちらの「しめる」を使用しても問題はありません。 その一方「綿で首を絞める」や「綿で首を締める」は誤用となります。
あくまでも「綿」ではなく「真綿」なので注意しましょう。 その点については次の成り立ちに関する項目で詳しくまとめます。
「真綿で首を絞める」の成り立ち

ここからは「真綿で首を絞める」の由来や語源をまとめます。
その苦しみ方から生まれた言葉
「真綿で首を絞める」は苦痛を与えられる様子から生まれた言葉だとされています。
実際に真綿で首をゆっくり絞められるのは苦しく痛いものです。 しかし、逆に一気に首を絞められれば苦痛を感じることなく絶命できるかもしれません。
例えば、日本刀で一気に首を落としてしまえば苦痛も一瞬で済むはずです。 逆にノコギリで何度も往復しながら首を落とされるのは苦痛でしかありません。
それらゆっくりと苦痛を与えられながら追い込まれていく様子を例えたのが「真綿で首を絞める」となります。
表現としては「綿」ではなくあくまでも「真綿」
「真綿で首を絞める」はあくまでも「真綿」となります。 単なる「綿」となると意味が変わってしまうので注意しましょう。
事実「綿で首を絞める」「綿で首を締める」は間違いです。 実際に「真綿」と「綿」には明確な違いも存在します。
「真綿」は蚕の繭を引き延ばして乾燥させ綿状にしたものです。 これらは現代ではシルクなどの素材として知られています。 逆に「綿」はもともと木綿と呼ばれるものを意味するのです。 これらは現代だとコットンなどの素材として知られています。
当然「真綿」の方が「綿」よりも柔らかくて滑らかです。 そのため「真綿」で首を絞めたところですぐに息絶えるということはありません。 もちろん「綿」でも亡くなるということはあまりないはずですが、コットンとシルクではそもそも性質が違うのです。
それら柔らかく舐めやかな「真綿」で首を絞められると、簡単には絶命できないために苦痛が長引くわけです。 そこから生まれたのが「真綿で首を絞める」となります。 そこは「綿」ではないと覚えておきましょう。
「真綿で首を絞める」の類義語

最後に「真綿で首を絞める」の類義語も見ておきましょう。
蛇の生殺し
「蛇の生殺し」とは、半死半生にして殺しも生かしもしないことの例えです。 転じて、物事の決着をつけずにそのまま放置してしまうことなども言います。
これらは蛇自身が生殺し状態であるところから来た言葉です。 事実、蛇を苦しめたり痛めつけたりする状況を言う言葉です。 それら苦痛を与え続けるという点が「真綿で首を絞める」と似ていると言えるでしょう。
生かさず殺さず
「生かさず殺さず」とは、生かしもせず殺しもしないことの例えです。 かろうじて死なずに生きていける程度の状態に置くことを言います。
これらは中途半端に苦痛を与え続ける様子から来た言葉です。 苦痛を与え続けるような状態に追い込むというところが「真綿で首を絞める」に通ずるのではないでしょうか。
まとめ
「真綿で首を絞める」はじわじわと責めて追い詰めていくような様子を例えた表現です。 これらはゆっくりと苦しめたり痛めつけたりすることを言います。
なお、「真綿で首を絞める」は「綿」ではなく「真綿」なので、そこは別物として解釈しましょう。 「綿」はコットンで「真綿」はシルクなので、混合しないよう注意が必要です。
提供元・FUNDO
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