
日本テレビnewszeroより
櫻井翔氏のコメントがいろいろ話題を呼んでいる。彼が被害者だとしても、日テレがジャニー喜多川の性犯罪を見逃して(彼を初めとする)ジャニーズ事務所のタレントを使ってきた加害者としての責任はまぬがれない。もっと大きな問題は、このような芸能人カルテルが、日本のコンテンツ業界を腐らせたことだ。
アニメやマンガでは世界を席捲するストーリーの面白さなのに、映画やTVドラマの実写では韓流の後塵を拝しているのは、脚本のツマラナさ。ジャニーズをはじめとする有力芸能事務所の顔色を窺い、まるで主役キャストのPVのようなつくりをしているから陳腐な是枝作品がもてはやされて、の世も末の日本
— 村西とおる (@Muranishi_Toru) June 8, 2023
1950年代の日本映画は、世界でも最高水準だった。黒沢明はスティーブン・スピルバーグなどのハリウッド映画に影響を与え、溝口健二はジャン=リュック・ゴダールなどのヌーベル・バーグの手本となった。
だが60年代以降の映画産業は、質量ともに衰退の一途をたどった。年間入場者数は1958 年の約11億人をピークに減少し、最近やや盛り返したが、全盛期の2割にも満たない。
その原因は一般にはテレビの登場による不可避な運命だったと考えられているが、ハリウッドはその後も発展した。関連産業もあわせた娯楽産業の国内総生産は電機産業や自動車産業と肩を並べ、アメリカの最大の輸出産業である。何がこのような大きな違いをもたらしたのだろうか。
「5社協定」という芸能人カルテル1950年代にテレビが登場したとき、映画会社は映画の提供を拒否するばかりでなく、所属俳優にテレビの仕事を禁じる5社協定というカルテルを結んだ。その結果、映画産業はテレビという最大の媒体を失い、系列の映画館に画一的なスケジュールで上映させる「ブロック・ブッキング」を続けたため、競争や新規参入がなくなった。
他方アメリカの映画産業は、60年代にはテレビ番組の制作に活路を見出し、逆にテレビを新たな収入源とすべくロビー活動を行った。FCC(連邦通信委員会)は1970年に、テレビ局は番組のうち一定の比率を外部に発注し、その番組について1次放送権以外の権利をもってはならず、シンジケーション(番組流通)もしてはならないというフィンシン・ルールを定めた。
この規制によって、ハリウッドで制作されてテレビで放送された番組の権利はハリウッドに残り、プロデューサーに一元化された。たとえば人気コメディ「サインフェルド」1本(30分)の放送権が120万ドルにもなるなど、高い制作費をかけても繰り返し視聴に耐えるすぐれた番組をつくれば採算があうようになり、テレビ番組の質も向上した。