日産自動車の経営再建を託され、仏ルノーから派遣されたカルロス・ゴーン氏。瞬く間に日産の経営を立て直し、世界のトップ企業と肩を並べる企業グループへと成長させた。
しかし2018年11月、金融商品取引法違反で突如、東京地検特捜部に逮捕され、日産での地位を失い、その後映画さながらの逃亡劇を演じ、日本を脱出するはめに陥ってしまった。日産では一体なにが起こっていたのか、ゴーン氏は本当に犯罪者なのか、ゴーン氏とともに起訴された日産元代表取締役のグレッグ・ケリー氏に真相を聞いた。
「ゴーン氏の右腕ではない」
ーー日産に対して今、どのような思いを抱いているのでしょうか。
ケリー 私は日産ではコーポレートガバナンス(企業統治)に尽力してきましたが、ルノーとの合併に反対した少数の幹部グループによって、これが妨害されました。日産がルノーと合併すれば、アライアンスの収益性と競争力は格段に向上し、日産はルノーに(株式を)43.4%所有されていた状態から、アライアンスに大きな影響力を持つフィフティ・フィフティのパートナーになることができたはずです。さらにフィアット・クライスラーをグループに加えることで、アライアンスの収益性と競争力は格段に向上したはずです。
ところが2018年11月19日(ゴーン氏とケリー氏が東京地検特捜部に逮捕された日)以降、日産の収益性、車両販売台数、市場シェア、時価総額は大幅に減少しています。一方、日産のグローバルな競合相手であるトヨタ自動車、現代自動車、フォルクスワーゲン(VW)、ゼネラルモーターズ(GM)は2018年以降、日産よりも大幅に収益性と競争力を高めています。2018年以降、日産に何が起こったのか、残念でなりません。
——日産に入社した経緯は。
ケリー 私は1988年に日産に採用され、法務部のシニアマネジャーとして入社しました。採用される直前、日産が米国に初の生産拠点を開設するという長いニュースを見たことがあり、米国市場に投資する日本の一流企業で働けることを誇りに思いました。
——あなたは、ゴーン氏の信頼できる助っ人として日産に貢献してきたといわれていますが、ゴーン氏とはどのような関係だったのでしょうか。
ケリー 私はゴーン氏の「信頼できる助っ人」でも「右腕」でもありません。私はゴーン氏のもとで、人事担当SVP兼CEO室の担当として働いていました。ゴーン氏とは毎月2回(8月を除く)、30分から45分ほど会って、自分の担当分野に関連するビジネス上の問題を議論しました。日産でのすべての役職において、私の責任は、日産の成長と収益に貢献することでした。
——日産の中では、どのような仕事をしていたのでしょうか。
ケリー 私の主な仕事は、日産のトップマネジメントと協力して、ゴーン氏引退後の日産を率いるトップマネジメントチームの一員となる可能性のある人物を見いだし、トップマネジメントチームの一員となるための任務がこの人に与えられるようにすることでした。また、日産の社外から、将来トップマネジメントになる可能性のある優秀な人材を発掘し、採用することも私の仕事のひとつでした。 ゴーン氏との関係は、あくまでも日産の業務に関わることだけで、親しく付き合っていたわけではありません。