代表的な食べ方として漬物があげられるだろう野菜の「野沢菜」。
長野県を中心に信越地本の名産品でもあります。
ここでは、この野沢菜について、旬となるシーズンや始まりについて解説します。
併せて「野沢菜漬け」についても解説します。
「野沢菜」とは

まずは「野沢菜」がどのような野菜なのか見てみましょう。
「野沢菜」はこんな植物
「野沢菜」はアブラナ科アブラナ属に分類される、長野県が一大産地として知られる野菜です。
特に同県内にある野沢温泉村で作られてきた歴史からその名前が付けられたとされます。
また、野沢温泉村のある地域が古くは信州と呼ばれてきた歴史から「信州菜」という別名があります。
地域のよって異なる「野沢菜」の収穫時期と開花時期
長野県野沢温泉村で生産が始まったともされる「野沢菜」ですが、現代では北海道から熊本まで全国的に栽培されている野菜です。
長野県では9月になると種まきが行われ、収穫時期となる10月の終わりから11月後半になると最大1mほどまで生長します。
霜があたったほうが美味しいとされることから、冷えるのを待ってから収穫することもあるそうです。
しかし、野沢温泉村など長野県の多くの生産地は冬になると積雪する地域ということもあって野沢菜の生産には適さなくなります。
そのため、冬季の生産は徳島県など他の地域で行われるようになります。
徳島県などでは2月頃まで収穫されるこの野沢菜をそのままにして越冬させると、春には黄色い菜の花を咲かせます。
「野沢菜」はどうやって生まれた?

野沢菜は、いつ頃から収穫されるようになった野菜なのでしょうか。
京都の天王寺かぶの突然変異とされる伝承
長野県の名産品としても知られている「野沢菜」。
その歴史は、大阪にあるとする伝承があります。
それは江戸時代にあたる宝暦6(1756)年のこと、野沢温泉村にある健命寺の住職が京都に遊学していました。
その際、大阪市天王寺に寄り、この寺院で栽培されていた「天王寺かぶ」という蕪の種を持ち帰りました。
健命寺で育てられた「天王寺かぶ」は、温かい地域の大阪と大きく異なる環境に突然変異を起こしたことで野沢菜となったと言い伝えられています。
遺伝子研究の結果、伝承とは違う事実が判明・・・
ところが、遺伝子研究の結果、どうやら実際のところは伝承とは異なるという結果が。
日本の蕪は、西日本で主流のアジア系と耐寒性に優れたヨーロッパ系に大別されるのですが、「野沢菜」は天王寺かぶと異なりヨーロッパ系の特徴が強く出ていたのだとか。
そのため、遺伝子研究の面から見ると野沢菜の起原は天王寺かぶではないということになるようです。