広島サミットは、ウクライナのゼレンスキー大統領まで飛び入りで盛り上がった。特に印象的だったのは、G7の首脳が原爆慰霊碑にそろって献花した光景だが、私には違和感があった。
慰霊碑には「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という言葉が刻まれているが、「過ち」の主語はアメリカである。バイデン大統領は他人事のように献花できる立場ではないのだ(原爆の開発にはイギリスとカナダも協力した)。
しかし日本人は主語を曖昧にして、毎年8月になると「原爆の悲惨さ」や「核廃絶の決意」などの一般論を語ってきた。こういう態度の原因は、終戦直後の占領軍の検閲である。
戦時中「鬼畜米英」の戦意高揚記事を書いていた新聞は、一転して米軍を平和の使徒のように描いたが、そこには誰の目にも明らかな矛盾があった。原爆投下も東京大空襲も、国際法で禁じられている民間人の無差別爆撃だった。
「戦争を始めた日本が悪いから、過ちの主語は人類全体だ」という人もいるが、戦争を終わらせる方法はいくらでもあり、国際法違反を正当化する理由にはならない。アメリカの責任が追及されないのは、戦勝国だからである。
それは本土決戦による米軍兵士の被害を避けるためだった、というのがアメリカ政府の公式の説明だが、これを信じる人はアメリカ人にも少ない。原爆の威力を示すだけなら無人島に落としてもよく、軍事施設をねらってもよかった。市街地を爆撃するにしても、事前に降伏するよう警告すべきだった。