古くから我々の食卓に欠かせない食材であった魚。美味しい魚を鮮度の良いまま消費者のもとへ届けるため、様々な「移動販売」が行われてきました。
(アイキャッチ画像提供:PhotoAC)
魚市場が「鮮魚の移動販売」をスタート
神奈川県中南部の鮮魚流通の要となっている平塚茅ヶ崎魚市場。ここでは今年の1月より、鮮魚やそれを用いた海鮮料理などを「移動販売車」で消費者のもとまで届ける事業を開始しています。
市場流通の変化や、鮮魚店の閉店・廃業などで魚市場の取扱量が右肩下がりになるなか、閉塞した状況を打破しようと始められたそうです。
市場によれば、一人暮らしのお年寄りや、小さいお子さんを抱えた主婦など、郊外のスーパーマーケットに車で買い物に行けない人たちに好評とのこと。今後も移動販売を行っていきながら、これまで見えなかった部分での顧客ニーズを拾っていきたいとしています。
魚の移動販売の歴史
今回の取り組みは非常に画期的なものと言えますが、歴史学的な視点から見れば実は「魚の移動販売」は初めてのことではありません。というのも、我が国では中世の終わりから近世にかけ「棒手売り」というスタイルの鮮魚移動販売が一般化していたためです。
古い時代、魚を捕る漁師と、それを食べる消費者は同じ場所に住み、直接結びついていました。しかし都市化が進んでいく中で、水揚げ地ではない場所にも町ができるようになり、魚の生産地と消費地の間に距離ができるようになりました。そのギャップを埋めたのが、棒手売りのような移動販売業者だったのです。
その歴史は長く、13世紀に書かれた絵巻物「一遍上人絵伝」にはすでに、棒の両端に結んだかごに魚を入れて運ぶ魚売りの様子が描かれています。
さらに時代が下って近世になると「棒手売り」は市場の主役とも言える存在にまりました。彼らは、当時世界最大級の都市であった江戸や大坂の人々に、美味しい鮮魚を届ける大事な「インフラ」であったといえます。
鮮度保持にも歴史あり
さて、鮮魚を販売するために大切なのは「鮮度保持」の技術であることは言うまでもないでしょう。
棒手売りたちの時代には電気がなく、冷蔵技術はさほど発展してはいませんでした。そのため鮮魚よりも寿司などの加工食品や干物、塩蔵などの保存食品にして運ばれるのが一般的であったようです。
ただこれは都市ごとの違いがあったようで、大坂では寿司などを詰めた重箱をいくつもぶら下げた棒手売りがゆっくりと練り歩いた一方、江戸では鮮魚を桶に入れたり直接棒からひもでぶら下げ、鮮度が落ちないうちに売りさばくべく、売り声を叫びながら街を駆け抜けていたのだそうです。
ちなみに現代ではどうかというと、前記のサービスでは世界最新の冷凍保存技術である「リキッドフリーザー」を用いています。これは通常の冷凍庫のような気体の冷媒ではなく液体の冷媒を用いることで魚を瞬間冷凍するというもので、長時間鮮度を落とさず保存することができるのだそうです。
<脇本 哲朗/サカナ研究所>
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