東京都民の憧れの的か…イオンモールが今後も東京23区に出店する可能性は低い理由
(画像=イオンモールのHPより、『Business Journal』より 引用)

 全国各地に店舗を構える大型ショッピングセンター「イオンモール」。巨大な敷面積を有し、そのなかにはスーパーマーケット「イオン」だけでなく、ファッション、飲食、食品、インテリア、書店などのテナントが数多く入居している。また広大な駐車場も有していることから、地域住民にとっては自動車で気軽に行けるショッピング施設として評判だ。

 国内に164店舗(2022年12月15日現在)を展開し、地方ではその地域のショッピングの中核を担うことも多いイオンモールだが、東京都内ではほぼ「幻の存在」になっている。都内にイオンモールはわずか4店舗しか存在せず、しかもそのすべてが多摩地区に集約されているので、23区内に住む東京都民からすると馴染みがない施設になっており、SNS上ではしばしば

「東京民はイオンとイオンモールが違うことを知らない」

「よく言ってるよな東京民 イオンモールってどんなの?って」

「都民やけど実家帰った時の実際イオンモールは楽しい」

「イオンモール、都民の憧れの的」

「田舎民が唯一マウント取れるのがイオン」

「東京には店は多いが生活に必要な店が集約されている場所がない イオンモールは1ヶ所にまとまっているから買い物に時間がかからない」

などと話題になることも。東京23区内にもイオン系列の「イオンスタイル」や「イオンタウン」といった店舗はあるものの、イオンモールほどの巨大施設ではなく、いわゆる普通のショッピングセンタークラスの大きさであることが多い。もちろん建設地や企業戦略の影響もあるのだろうが、イオンモールが東京23区に進出していないのはなぜなのか。今回は流通アナリストの中井彰人氏にイオンモールの基本的な戦略や、東京23区のイオン事情について聞いた。

必然的にイオンは郊外で発展していった

 イオンモールは必然的に郊外で発展していったという経緯があると中井氏は語る。

「イオンモール登場以前の大型スーパーというと、GMS(ゼネラルマーチャンダイズストア)という小売業態が一般的でした。GMSとは3、4階建ての箱型の建物の中に食品、雑貨類、家具、薬屋などさまざまな店が入った、いわゆる衣食住が詰まった業態。関東だと西友やイトーヨーカドー、関西ではダイエーといった企業が台頭し、1970年代に東京、大阪から店舗展開が始まり、次第に地方にも広がっていき店舗を増やしていきました。

 そしてGMSは都市、地方問わず駅前に展開していました。1980年代以前は、一般家庭における自動車の所有率が低かった時代なので、GMSがお客を呼び込むためには人通りの多い駅前が最適だったためです。こうして駅前の一等地を確保できたイトーヨーカドー、ダイエーなどの企業は先発組として、駅前のニーズを獲得することに成功したのです」(中井氏)

 しかし80年代以降、自動車の所有率が高くなり始めたことをきっかけに状況は一変していく。

「自動車の普及率が高まり、GMSは駅前のみならず郊外のロードサイドにも進出するようになりました。郊外店は自動車で来店しやすく、土地代が安く商品の価格も抑えられるため、自動車所有世帯であれば、郊外店のほうがメリットは大きい。しかも、地方は余っている土地を有効活用できたので、イオンなどのGMS後発組の企業は、駅前一等地に出店ができない分、郊外のロードサイドに目を付けて出店するようになっていきます。その進化系として、圧倒的な面積を有し、出店したのがイオンモールでした。1992年、現在の青森県つがる市に1号店をオープンしたのです。

 こうして郊外店との競争に負けた地方駅前のGMSは、7割近くが閉店に追い込まれてしまい、撤退を余儀なくされるか、もしくはダイエーのようにイオンに吸収されてしまいました。西日本ではイズミのゆめタウンや、平和堂など多様な大型モールがあるものの、イオンほど集客力があり広大な店舗面積を有す商業施設は多くはなく、実質独壇場といえますね」(同)

 イオンモールは、車社会である郊外で大量に客を呼び込むという店舗設計だったからこそ、成功した側面もある。そう考えると、公共交通機関が発達しマイカーがなくても不便ではない東京23区というエリアは、イオンモールの戦略とは合致しないため、展開が進まなかったのは当然のことだったのだろう。