カトリック教会の女性像は時代によって変化していったが、その中で変わらず継承してきた「男尊女卑」の流れは、旧約聖書創世記2章22節の「主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り……」から由来していると受け取られている。聖書では「人」は通常「男」を意味し、その「男」(アダム)のあばら骨から女(エバ)を造ったということから、女は男の付属品のように理解されてきた面がある。

「教会の女性像」の確立に中心的役割を果たした人物は古代キリスト教神学者アウレリウス・アウグスティヌス(354~430年)だ。彼は、「女が男の為に子供を産まないとすれば、女はどのような価値があるか」と呟いている。イタリア人教皇レオ1世(390~461年)は「罪なく子供を産んだ女はいない」と主張し、女性が性関係を持ち、子供を産むことで原罪が継承されてきたと指摘している。キリスト教の性モラルはこの時代に既に構築されていった。

女性蔑視の思想は中世時代に入ると、「神学大全」の著者のトーマス・フォン・アクィナス(1225~1274年)に一層明確になる。アクィナスは「女の創造は自然界の失策だ」と言い切っている。スコラ哲学の代表者アクィナスは、「男子の胎児は生まれて40日後に人間となるが、女子の胎児は人間になるまで80日間かかる」と主張しているほどだ。現代のフェミニストが聞けば、真っ赤になって憤慨するような暴言だろう。

女性蔑視の思想を持つキリスト教の中で聖母マリアだけはイエスの母親として特別視されてきた。第255代法王のピウス9世(在位1846~1878年)は1854年、「マリアは胎内の時から原罪から解放されていた」と宣言して、教会の教義(ドグマ)にした。

ポーランド教会では聖母マリアは“第2のキリスト”と崇められているほどだ。キリスト教信者たちは、厳格で裁く父親的神とは好対照として、無条件に許し、愛する母親的存在の聖母マリアを必要とした、という事情もあったはずだ(「なぜ、教会は女性を軽視するか」2013年3月4日参考)。

参考までに、「母の日」といえば、ユダヤ人の名言を思い出す。「神は常に貴方の傍におれないので母を貴方のもとに遣わした」というのだ。神は自身の代身として子のもとに母を使わし、その成長を助けているというわけだ。

編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年5月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。