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自民党のLGBT法案(性的少数者に対する理解増進法案)について議論が進められています。自民党が主導である限り「徹底した規制法案」とはならないかと思われますが、法案に盛り込まれている「性自認を理由とする差別は許されない」という文言の扱いがポ イントです。

いったい差別とは、どこからどこまでを指すのでしょうか。

ひとつのサンプルを出して考えてみましょう。お笑い芸人の石橋貴明さんが昔「保毛尾田保毛男(ほもおだほもお)」というキャラクターを流行させ、これが現代においてはNG表現だという話を聞きました。

実際のところ、このキャラクターに近い実在の人物もいるとは思います。重要な特徴として「見た目と仕種がアンバランスかつ悪めに設定されている」「不特定多数の男性に対して欲望を持っている」という点があります。

およそ「笑い」という文化には「攻撃性が隠されている」といわれます。すべてではないにせよ、笑いの対象にされる者に対しては、世の中からの潜在的な攻撃性が投げかけられていることが多い。前者の特徴はまさにそれ、当時マイノリティに注がれていた俗なる視線そのもの。では後者はどうでしょうか。

「露悪願望」という言葉があります。社会人が普段は果たせないような欲望を衝動的に果たしている人間を見て思わず真似たくなるというもの。トレンチコートを着た痴漢男を真似るだけでも笑いのネタになってしまいうるのは人間一般の露悪願望を衆目に晒しているからです。

この点で、男性の同性愛者の中でも「交際相手を非常に多く持ちたがるタイプ」の人は、一般人がなかなか多数の交際対象を持ちにいけない抑圧を衝動的な欲望で振り切っていると映ります。ハッテン場などという俗語が生まれ、これも物笑いの種として使われます。

こういう文脈で物笑いの種にされるとき、その対象は憧れられると共に侮蔑の的となっており、ステレオタイプとして荒削りな決めつけをされているとも言えます。「交際相手を多く持ちたがる人間と特定の相手としか交際しない人間の2種類がいる」という当然の事実は、LGBTであってもなくても同じであるはずなのに。