目次
OKマッスル!筋肉は全てを解決する!(モリモリ)
1969年、流行のポニーカーとして初代チャレンジャー誕生
それでいいのか、どこかで見たような2代目チャレンジャー
バイパーもいいけどマッスルカーはこうだよね!な3代目
OKマッスル!筋肉は全てを解決する!(モリモリ)

アメリカというのは面白い国で、テスラ車のように最新のBEV(バッテリーの電気だけで走る純電気自動車)で最先端をゆくかと思えば、昔ながらの「筋肉が全てを解決する!」とばかりの大排気量パワフルなマッスルカーも、その過激さを年々増していました。
その代表格のひとつが今や多国籍グループ「ステランティス」の一部門である「ダッジ」ブランドの2ドアクーペ「チャレンジャー」で、筆者の住む東北の片田舎でもたまに見かけては、猛烈な加速とエキゾーストノートでハートをズシン!と揺さぶってくれます。
「やっぱアメ車ってこうだよね〜日本車やヨーロッパ車みたいなアメ車はお呼びじゃなくて、こういうのを右ハンドルで普通に売ってりゃ良かったのに?」と思うのは、どうせ買いもしないクルマ好きの勝手な感想ですが、あながち間違ってないと思います。
どのみち、アメ車なんて日本じゃテスラとジープ以外はよほどの数奇者じゃなければ買いませんし。
もっとも、そんなチャレンジャーもついに2023年モデルで生産終了、あとは4ドアの盟友チャージャーのEV版などが電動マッスルカーの系譜を継いでゆくようですが、ホントですかね?
1969年、流行のポニーカーとして初代チャレンジャー誕生

日本的な感覚では「それのどこがポニーカーなんだ?」と、日本版ポニーカーの初代トヨタ セリカと見比べては唖然としてしまう、元祖アメリカのポニーカーですが、1960年代半ばに初代フォード マスタングが始まりと言われています。
普通の乗用車─と言っても何しろ元気いっぱいな時期のアメ車ですから、その時点で日本から見れば立派に大排気量マッスルカーでしたが─のシャシーへスポーツカー風ボディをかぶせ、「カッコよくて快適性は乗用車並のスポーツスペシャリティ」として売り出したもの。
そのうちパワフルになってスポーツカーとの境目がなくなっていきますが、ともかく登場当初は「気軽にスポーツカーに乗れるぜ!」と人気になり、オイルショックで小型車志向が進むまで好評を博しました。
ダッジ チャレンジャーの初代モデルはまさにその流行に乗っかった「クライスラー版ポニーカー」として開発され、元からあったプリムス バラクーダーの3代目を、「ダッジ」ブランド風のちょいワル系に仕立て直したものだ、と思っておけば、ほぼ間違いありません。
ただし発売直後に厳しい排ガス規制で有名な「マスキー法」(1970年大気浄化法改正法)や、ダットサンZ(フェアレディZ)など輸入小型スポーツカーの台頭でアメリカンサイズのポニーカーは人気を失いつつありました。
さらに第1次オイルショック(1973年)による原油価格高騰の影響もあってか、初代チャレンジャーは1974年で生産を終える比較的短命に終わったモデルだったものの、最初はけっこう売れたもので、「古きよき名車」の一角に収まるくらいの人気はあったようです。
「ダッジ チャレンジャー」の名が高まったのには、北米のど真ん中、コロラド州のデンバーからサンフランシスコまでチャレンジャーの陸送を請け負った男が厳しい制限時間で到着する賭けに乗るという映画「バニシング・ポイント」への登場も影響しています。
威信をかけてチャレンジャーの激走を阻止しようとする警察、どんな障害があろうと突破する男の駆るチャレンジャーは、新車の陸送がそれでいいのか…という話はさておきアメリカ的な自由とマッスルカーを象徴するような姿で、観客を沸かせたのです。