恐れていた政治家へのテロがまた起きた。標的は岸田首相、現場はまた選挙応援の演説会場だ。こなした数だけ票が入る昔ながらの握手戦術では有権者との接近が肝心。よって今回、安倍さんの時より格段に向上したと見える警護にも自ずと限界がある。命を惜しむなら、政治の道を選ぶべきでない。

ネットの言論空間では、テレビや活字メディアが安倍暗殺を起こした山上某の動機解明に血道を上げ、旧統一教会(以下、「教団」)糾弾とその被害者擁護の報道に走った結果、犯人への同情のみならず、それをテロでないとする者や礼賛する輩まで現れたことが、今回の模倣犯を生んだとの論がもっぱらだ。

そういう側面を筆者も否定しない。だが所詮TVも新聞も雑誌も観られ読まれてなんぼの世界、受け手を憤らせ、同情させ、関心を惹いてこそ儲けられるのだから、事の本質に迫ることなど二の次だ。ネットの言論空間にしても、そうしたマスコミあってこその存在で、いわば持ちつ持たれつの関係だろう。

そこで本稿では、そうした姿勢のマスコミに手を貸した岸田首相の「教団」への対応ミスに改めて光を当てる。

逮捕された木村隆二容疑者 NHKより

3月27日、各報道は永岡文科相が同日、「教団」に対する5回目の「報告徴収・質問権」を行使するため、宗教法人審議会に質問内容を諮問し、了承を得たことを報じた。有体に言って、この質問権行使は、宗教法人を所管する文科省が「教団」に解散命令を出すためだけにしている、と筆者の目には映る。