善人について安岡先生は次のようにも述べておられます--悪人は一人でも「悪党」と言います。それじゃ善人をさして“彼は「善党」だ”とは言いません。悪党という語があっても善党という言葉は使わない。だから悪党と善人では、一応善人側が負けるものです。負けてから、懲りて奮起して、いろいろ苦労して勧善懲悪する(『[新装版]運命を開く』)。

「積善の家には必ず余慶(よけい)有り。積不善の家には必ず余殃(よおう)有り」(『易経』)--善行を積み重ねた家にはその功徳により幸せが訪れ、不善を積み重ねた家にはその報いとして災難が齎されます。「俯仰(ふぎょう)天地に愧(は)じず」(『孟子』)自らの心に一点の曇りなきことを、世のため人のためと思い自分の使命として次々に堂々と為して行くならば、人の助けのみならず天もまた助けてくれることでしょう。こうして得られる様々なサポートもあって、善人というのは「負けてから、懲りて奮起して、いろいろ苦労して勧善懲悪する」ものです。

編集部より:この記事は、「北尾吉孝日記」2023年4月20日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。