オットー・リリエンタールという人物を知っているでしょうか。
その名前はベルリンにあったテーゲル空港にも付けられ、オットー・リリエンタール空港と呼ばれていました。空港に名前が付けられていたように、リリエンタールは飛行機と関わりがあったのです。ライト兄弟が動力飛行機を発明する以前に、リリエンタールはドイツで空を飛ぶための飛行実験を行なっていました。
そして彼の研究は、航空工学の発展に大きな役割を果たしたのです。そのため彼は飛行機の歴史に欠かすことのできない人物といえるでしょう。ベルリンにはリリエンタールの関わりのある場所が残され、今では記念公園になっています。今回は、そんなリリエンタールと繋がりのある場所を紹介したいと思います。
目次
空を飛ぼうとしたリリエンタール
リリエンタールが飛行訓練を行なった場所フリーゲベルク
空を飛ぼうとしたリリエンタール
オットー・リリエンタールは19世期半ばにドイツに生まれ、1890年代に空を飛ぶために多くの実験を行なっていました。リリエンタールが行なったのはハングライダーのような機体で空を飛ぶこと。丘のような場所から飛び立ち、およそ250メートル飛んだこともあったようです。
彼は幾度も実験を繰り返し、2,000回以上もの飛行実験を行いました。しかし、1896年に実験の最中に墜落して、命を落としてしまいます。そして彼が成し遂げられなかった空を飛ぶという夢は、1903年にライト兄弟によって実現されたのです。

リリエンタールが飛行訓練を行なった場所フリーゲベルク
リリエンタールは、小高い丘の上からハングライダーのような機体を使って飛ぶ実験をしていました。実験に使われていたのはベルリンやその周辺の幾つかの丘。

そのうちの一つが、ベルリン南部に人工的に築かれたフリーゲベルクです。リリエンタールの自宅の近くにあり、その高さは15メートルもありました。こちらの丘はリリエンタールが命を落とした場所ではありません。

しかし、フリーゲベルクでの飛行実験は見物客を集め、リリエンタールとの深い繋がりがあったのでしょう。そのため、フリーゲベルクにはリリエンタールの記念碑が築かれています。