中庸の徳は極めて難しく、中々若くして身に付けられません。また抽象的な概念であるだけに、その考え方も簡単には理解できません。平たくは、常時変わらぬ心(恒心)を持って全てを受け入れながら、一歩前に進んで行くのが中庸であるとも言えましょう。中庸とは、「無難」や「折衷」あるいは「間をとる」といった概念とは似て非なるもので、西洋哲学の「正反合」の「合」に当たるものです。より高次元での合に達すべく此の正反合を進む中で、次第に中庸(合)の域に達してくるのではないかと思います。
孔子は、中庸の精神を様々な形の中で持ち続けることを非常に大事にしていました。智と礼のバランスで一例を挙げますと、『論語』の「雍也第六の二十七」に「君子、博く文(ぶん)を学びて、これを約するに礼を以てせば、亦以て畔(そむ)かざるべきか」とあります。之は、「君子は広く学んで知識や教養を身につけて、礼によってそれらを集約して自分の行動を律していく。そうすれば道を外すことはない」といった意味になります。集約するとは、その時代の慣行・習慣に沿うよう形作り実行するということです。
トップは、恒心とバランス感覚を備えた人物でなくてはなりません。孔子の君子像としては、一芸に秀でるだけでなく、幅広くその能力を発揮し、一定の型にはまらない人物と言えましょう。何か一つの特性に偏っていると、臨機応変万事に対応できません。またトップが偏った視点を持っていると、部下の能力を公明正大に評価できなくなります。「君子は器(うつわ)ならず」(為政第二の十二)で、器を使うのが君子なのです。
『論語』の「子罕第九の四」に、「子、四(し)を絶つ。意なく、必なく、固なく、我なし」とあります。孔子は中庸の徳を養うべく、「私意がない、無理を通すことがない、物事に固執することがない、我を通すことがない」ことが大事だと考えて、「意必固我」を意識的に行わぬよう己を律し、大変バランスのとれた人物に出来上がりました。「学んで」「思うて」(為政第二の十五)己の視野を広め思考を深め、意必固我を遠ざけて排すことは、義礼智仁に繋がる修養の第一項目であります。
第三に「義利の辨」。南宋の思想家・陸象山(りくしょうざん)は白鹿洞書院での講義で『論語』の一章、「君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩る…物事を判断する時、君子は正しいかどうかで判断するが、小人は損得勘定で判断する」(里仁第四の十六)を講じ次のように述べました――人の喩るところはその習うところによる。習うところはその志すところによる。義に志すか利に志すかによって、ついに君子となり、小人となるのである。
中国古典の書には、義利の辨として「義」と「利」ということが沢山出てきます。『論語』でも上記の他、「利を見ては義を思い…利益を前にしても大義を考え」(憲問第十四の十三)とか、「利に放(よ)りて行えば、怨み多し…利害ばかりで行動すれば、必ずや多くの怨恨が生まれるだろう」(里仁第四の十二)といった具合に、孔子は此の二字につき何度も触れています。
孔子曰く、「君子、義以て質と為し、礼以てこれを行い、孫(そん)以てこれを出だし、信以てこれを成す。君子なるかな」(衛霊公第十五の十八)ということで、「君子は道義を本とし、礼によって行い、謙虚な態度で物を言い、終始偽りのない信を貫いて事を成し遂げる。こういう人物が真の君子である」のです。
以上『論語』のエッセンス三点、「君子の必修徳目である五常」「最上の徳としての中庸」「義利の辨」につき述べてきました。君子を目指すべく我々は四を絶ち、人間力の源泉とも言い得る五常を身に付けて行きながら中庸を保ち、義に志すことが極めて大事なのです。
編集部より:この記事は、「北尾吉孝日記」2023年4月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。