『VOGUE』や『PLAYBOY』といった有名誌を舞台に、ファッション・フォトグラファーの第一人者として伝説を残すヘルムート・ニュートン。
どこかフェティシズムを感じさせる、セクシーでありながら強さとたくましさをもつ女性たちを生涯にわたって撮り続けた。
東京都目黒区に今年1月オープンしたアートギャラリーLOWW(ロウ)で、4月16日(日)まで写真展を開催する。
20世紀を代表する写真家、ヘルムート・ニュートン
1920年にドイツ・ベルリンに生まれたヘルムート・ニュートンは、裕福なユダヤ人の息子として育った。初めてカメラを購入したのは12歳のときだったという。
4年後、彼はYva(イヴァ)という名で知られるドイツ人フォトグラファーのエルゼ・ジーモンに弟子入りをする。ファッション、ヌード、肖像画を独特な手法で撮るイヴァのスタイルは、ニュートンのキャリアに多大な影響を与えた。
世界情勢を背景に各地を転々とする厳しい時代を経て、1948年にフォトグラファーとしても活動する女優ジェーン・ブラウンと結婚。ジェーンはニュートン作品を多数アートディレクトするなど、互いの創作活動を長年にわたって支え合う関係となる。
1950年代、ニュートンは数々のファッション誌と契約を締結する。『VOGUE Australia』『VOGUE UK』に続き、1961年の『VOGUE PARIS』との契約は彼にとって分岐点となった。
ニュートンのファッション・フォトグラフィ・スタイルは世界中に広がり、後に40年にわたるファッション界での伝説的なキャリアの始まりとなった。
『VOGUE American』の編集者アナ・ウィンター氏は、ニュートン作品について「最も魅力的で神話的なヴォーグの代名詞」と語っている。
ニュートンの作品はサディズム、マゾヒズムとフェティシズムをともなったエロチックなスタイルに、どこかスタイリッシュさを感じさせ、映画のワンシーンを観ているようなストーリー構成とディレクションはまさに天才的であったとされる。
1975年、パリでの初写真展の後すぐに『White Woman』を出版し、70年代の終わりまでニューヨーク、パリ、ロンドン、ジュネーブ、ロサンゼルス、東京にて写真展を続けた。
1980年に入り、“Big Nude”シリーズをリリース。フォトグラフィ人生の頂点を迎える。
その後も世界中で写真展を続けていたが、2004年、ハリウッドのシャトー・マーモントで自動車事故によりこの世を去った。享年83歳、遺灰はドイツ・ベルリンの地で埋葬された。
死後もその評価は高まり、2019年にはフィリップス・ニューヨークのフォトグラフィ・オークションで1981年の作品が180万ドル、日本円にして約2億円で落札されている。