「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか、分からずにいるのです」(「ルカ福音書」23章34節) 「よく言っておくが、あなたは今日、私と一緒にパラダイスにいるであろう」(「ルカ福音書」23章43節) 「婦人よ、ごらんなさい。これはあなたの子です」「ごらんなさい。これはあなたの母です」(「ヨハネ福音書」19章26節~27節) 「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」(「マルコ福音書」15章34節) 「わたしは渇く」(「ヨハネ福音書」19章28節) 「すべてが終わった」(「ヨハネ福音書」19章30節) 「父よ、私の霊を御手に委ねます」(「ルカ福音書」23章46節)
聖金曜日の礼拝、イエスの十字架上の最後の7つの言葉が読み上げられる。その時、7曲のソナタが緩やかに流れだし、イエスの死を迎え、最後は地震の場面で終わる。
伝統的なキリスト教の解釈では、イエスは人類の罪を背負うために十字架で亡くなり、その3日後、復活する。イエスの十字架救済と死を乗り越えた復活を信じる信者たちはイエスの勝利の恩恵を受け罪から解放されるというものだ。
33歳で十字架で亡くなったイエスの生涯については多くの謎があることはこのコラム欄でも紹介してきた。(「イエスの父親はザカリアだった」2011年2月13日参考)、(「ヨセフとマリアの『イエス家庭』の謎」2015年4月7日参考)などで書いてきたので、関心のある読者は再読していただきたい。
ハイドンの「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」の中にもキリストとして降臨したイエスの無念さが感じられるのではないか。世界のキリスト者よ、十字架上のイエスを単に仰ぐ時は過ぎたのではないか。今こそイエスを十字架から降ろすべきではないか。ハイドンの音楽を聴きながら、イエスの生涯を静かに考えてみたいものだ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年4月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。