元プロキックボクサー、三島流平。厳しい父に負けないようにと小学生でボクシングに出会う。今はボディビル選手として活躍、昨年は日本の大きな大会でも結果を残すなど、注目される選手である
現在40歳の三島選手。33歳までプロのキックボクサーとして活躍していたが、最初はボクシングから始まり、その格闘技キャリアは小学生に遡る。
「子どものとき、父は厳しくて仕事もせずずっと家にいて酒を飲んでいる日々でした。その父はボクシングを観るのが好きで、自分がボクシングを始めたらそんな父から逃げられると思い始めました。小学校5年生のときです」
しかし、そんな三島選手にとある症状が訪れる。てんかんだ。これではボクシングは続けられない、と突然目標を失ってしまった。なんとか格闘技は続けたいと、高校生になってからは、てんかんの薬を飲みながら3年間柔道部で身体を動かした。
それから数年後の20代前半、てんかんの症状はまったくなくなっていた。時を同じくして、世間は『K-1』人気が沸騰していた。
「見た目はチャラチャラしていたけど強くてかっこいい魔裟斗選手に憧れを持つようになりました。そして30歳のときに、キックボクシングのアマチュアの全日本選手権で優勝して、31歳のときに『新生K-1』からプロのオファーがあり、プロデビューしました」
プロになった三島選手だが、デビューが31歳と決して若くなく、現役生活も長くは続かなかった。
「33歳のとき、試合で1、2ラウンドにダウンを奪ったのですが、その後ダウンを獲られて逆転KO負けをしてしまったんです。そのショックから立ち直れなくて……。年齢的にも33歳で、先のことも悩んでいました。ファイトマネーも多くなく、仕事しながら練習もしなくちゃいけないし、フルコンタクトスポーツだから当然ケガもするし、試合では失神もしたりするし。先々のことを考えていたら続けるべきじゃないと思ったんです」
三島選手は33歳でキックボクシングを引退した直後にボディビルを始め、その8カ月目にはいきなり関東クラス別ボディビル選手権に出場した。
「キックボクシングをやっていたからか、怖いもの知らずという感じでした(苦笑)。ボディビルなんて余裕だろうと、そしたら予選落ちして出鼻をくじかれました」
痛烈なデビューとなった三島選手は、ここで見た光景が忘れられなかった。
「東京の三井一訓選手を初めて間近で見て、『なんて腹筋してんだ』と衝撃を受けたことは今でも覚えています」
昨年は茨城県選手権優勝、日本クラシックフィジーク選手権、日本クラス別入賞と大きな成果があった三島選手。
「コロナなどいろいろありましたが、昨年3年ぶりに大会に出られることになりました。初戦のマッスルゲート熊本大会での反応が良くて、いろんな人が声をかけてくれました。それがその後の大きな自信に繋がって、スポルテック東京大会にも出場してと。少しずつ場数を踏んで、それも成績を出せていることで、自分の筋肉が成長できていると実感できています。昨年は茨城県選手権で“ミスター”の称号を手にするために、日本クラシックボディビルや日本クラス別、日本クラシックフィジークに出場して調整を合わせてきました」
今年の目標を尋ねると
「まずは関東クラス別です。東日本選手権も出て着実に優勝する」と、デビュー戦となった大会にも出場すると語る。今度は三島選手が誰かに大きな衝撃を与える順番かもしれない。
取材:FITNESS LOVE編集部 撮影:北岡一浩(大会写真)、三島流平