幸せな生活を取り戻したくて

タイタニック号の知られざる感動秘話… 父親に誘拐された兄弟と運命のいたずら
(画像=画像は「Twistedsifter」より引用,『TOCANA』より 引用)

 実は、幼子の両親マルセルとミシェルは結婚生活がうまく行かず5年目にして別居、母親が親権を持つことになり、父のミシェルはイースターの週末だけ息子たちに会うことが許されていた。

 しかし、かつての幸せな生活をどうしても取り戻したいと願ったミシェルは、息子たちを誘拐し、そのまま失踪してしまったのだ。ミシェルは息子たちをつれてアメリカへ移住しようと計画、しばしモンテカルロに滞在の後、アメリカ行きの船にタイタニックを選んだのだ。

 4月10日、彼らはイギリスのサザンプトン港からタイタニック号の等船室に乗船した。計画がバレないよう、父親は「ルイ・M・ホフマン」というユダヤ系の偽名を名乗り、息子たちには「ロト」と「ルイ」の名義で船室の予約を行っていた。そして運命の15日を迎えるのであった。

 沈みゆく船――。ミシェルは我が子を救命ボートの乗せるも自身は力尽きてしまう。ただ、最後に幼き息子ナヴラティルに残した言葉は、当時まだ4歳であったにもかかわらず彼はいまだに覚えているという。

「我が子よ、お母さんが必ず来るからね。そして伝えておくれ、本当に愛していたと。そして今でも……」

 そしてこう続けたという。

「お母さんがいつの日か我々のもとに来てくれることを期待していたんだ。新しい土地で幸せに平和な暮らしを送りたかった」

 と。これがミシェルの最期の言葉となってしまった。

 息子のミシェルは後にタイタニックの事故に関してこう回想している。

「すごく豪華な船だった、今まで見たことがないくらいの。船を先頭から眺めていた光景を今でも覚えています。弟とデッキで遊んだんです。最高だった。あの日の朝は、父と3人で2等船客用のダイニングルームで卵を食べました。海は船の走行でものすごい音を立てていて、救命ボートに乗る直前まで怖いなんて気持ちは少しもなく、本当に幸せの中に包まれていました」

■3人のその後

 フランスに戻ってからは、兄のナヴラティルはタイタニックでの父親との経験に強く影響を受け、大学に進学して哲学の博士課程を終了、フランスの伝統的なモンペリエ大学で哲学の教授に就いた。

 一方弟のエドモンドは、室内装飾家として働き、後には建築家となった。だが彼は、第2次世界大戦中にフランス陸軍に従軍し、敵軍の捕虜となってしまう。幸いにも逃げ出すことにできるが、その後体調が思うように改善せず、1953年に43歳で死去している。

 ナヴラティルは余生をモンペリエで送り、2001年1月30日に92歳の生涯を終えた。タイタニック号生存者の最後の男性であった。

 彼らが幸せだったかどうかはわからない。父の思惑に翻弄され、悲劇のタイタニックから奇跡的に助かった。これは運命のいたずらなのであろうか。

文=アナザー茂

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提供元・TOCANA

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