秋田県大館市でフライフィッシングガイドを営む谷地田正志さん。本職は造園業だけあり、樹木、動植物にも精通し、まさに現代マタギともいうべき知識と、自然のなかで生きる術をもつ。その谷地田さんとともに、森林王国ニッポンのなかでも極上の森林を育む秋田県側白神山地から流れ出す清流に足を運び、山菜と渓流魚について実践的に学ばせてもらった。
取材・文◎遠藤 昇 Text by Noboru Endo
写真◎狩野イサム Photo by Isamu Kano
画◎藤岡美和 Illustration by Yoshikazu Fujioka
出典◎フィールドライフ No.56 2017 夏号
歩いたぶんだけ学べる現代マタギ釣行
「マタギの人たちは、イワナの首のところを歯でかじって、そのままスポンと皮をむく。そして、沢近くで採った山ワサビといっしょに醤油をかけて食べる。少々ワイルドだけど、なにしろ上手にイワナの皮をむくので、幼いころその姿に憧れたなぁ」
秋田県大館市に在住し、多くのプロアングラーを案内するフィッシングガイドの谷地田正志さんは、渓流の斜面に生えるヤマウドの皮をていねいに剥きながら、羨望をともなった口調で、マタギ衆の川漁の話をしてくれる。
新緑がまだ残る5月の連休明け、秋田県側白神山地からほとばしる清流へ、毛鉤釣りに出かけた。谷地田さんに秋田や青森の渓流を案内していただくようになって7年。上達の度合いが圧倒的に高いと実感するほどフライフィッシングの技術指導にも定評があり、渓流本来の楽しみ方や安全な川の遡行術など、教えられることは多い。本業は造園なので、植物や樹木や山の知識もすこぶる高く、日本の狩猟民であるマタギの知識も豊富なのだ。
究極の山人〝旅マタギ〞
谷地田さんをはじめ秋田の男性たちが、ある種の尊敬の念をもち続けているマタギだが、有名なのは、秋田県北秋田郡阿あ仁に町まち(現・北秋田市)を流れる阿仁川上流域に点在する山間集落の〝阿仁マタギ〞だ。
山間部は豪雪により半年近く外界と隔絶され、耕作地も少なく、農業より狩猟を主とした暮らしが行なわれていた。やがて住居近辺の獲物の乱獲を慎むために、猟場を遠隔地に求める〝旅マタギ〞と呼ばれる一群を形成し、北海道南部から奈良県におよぶまで足跡が残る。
マタギの品といえば、古来生薬として珍重された熊ゆう胆たん(クマの胆のう)が有名だが、このほかにも黒部峡谷一帯を含む北アルプスの山々では、狩猟の合間に薬草を採取したそうだ。
マタギだからこそ採れる山間部の希少な薬草は、乾燥させ黒部川沿いの里まで運び、その薬草類は富山で加工され、日本全国に流通していった。マタギ衆は〝富山の薬行商〞の一端も担っていたという。
また、マタギ衆たちは、猟閑期の夏には川漁を行なった。川潜り漁やカギやヤス、夜間には松明の灯で投網。なかでも独自の技術が必要なイワナ釣りは、マタギ衆によって優れた技が山間地域に伝播され定着したいる。
全国的に黒部峡谷のイワナ職漁師は有名だが、群馬県、長野県、新潟県にまたがる秋山郷の職漁師などのイワナ釣りの技術は、そうしたマタギ衆によってもたらされたのではないかという説もある。
「阿仁マタギとは別に、白神山地から日本海に流れ込む津梅川周辺にも、『熊撃ちのマタギがいた』という話を聞いたことがある。その津梅川の上流域には、いまでもイワナが多いけれど、それはマタギの〝隠しイワナ〞じゃないかといわれているんだ。
〝隠しイワナ〞とは、いわゆるマタギ衆の天然の冷蔵庫だね。狩猟のため冬に山へ入ったとき、すぐにイワナを獲って食べられるように、夏の間に別の場所で釣ったイワナを滝の上や猟場の近くの沢に移して増やしておくんだ。
でもなぜ、それが隠しイワナかというと、そこのイワナだけ斑点が真っ赤なの。下流の滝の下は、普通のアメマス系で白い斑点なのに、そこのだけ赤い。似たようなイワナは尾根を越えないといないから、昔にだれかが尾根を越えて持ち込んだのでは……といわれているんだよ」
イワナは、山暮らしでの重要なタンパク源だ。いまでも定番の塩焼はもちろん、身をほぐして油とニンニク、味噌で炒めれば、いくらでもご飯が食べられるおかずになるという。
また、獲れたてだからこそ味わえる刺身も、身が甘くて美味だ。何度か刺身を食べたことがあるが、それは海の魚でいうとメダイのような味わいだった。ほかにもイワナに味噌を塗ってからフキの葉で巻き、焚火に入れて蒸し焼きにしてもおいしいという。
その土地の素材を上手く利用したイワナ料理の数々、焼き枯らして半燻製状態する川魚の保存方法なども、旅マタギが山間各地に伝えた食文化ではないだろか。そして「マタギの人は、骨酒もやっていたと思う」と、酒好きの谷地田さんは笑顔で話す。
恐るべし、テンカラ逆さ毛鉤
今回の釣行には、谷地田さんの釣り仲間で秋田在住のテンカラ釣り師の浅利広生さんも同行した。浅利さんは、父親の影響でテンカラ釣りを始めて、40年のベテランだ。そのベテランの技には圧倒された。
仲間と渓流を釣り上がる場合、ひと場所ごとに交代で先行するのだが、お先に釣って良い気持ちで写真を撮っていると、あとから来た浅利さんが、同じ場所で次々にイワナを釣り上げている。だれかが一度は入ったポイントで、すぐあとに釣り上げるというのは、腕のある証拠である。
こちらが長いリーダーシステム(フライラインより先のハリス部分)を駆使し、毛鉤をできるだけ長く停滞させるように苦労しているのをしり目に、浅利さんはパッとキャストして、半分水中に沈んだ毛鉤を竿先でツンツンと誘うと、アッという間に竿が弓のようにしなっている。
使っている毛鉤は、テンカラ毛鉤の代表で〝逆さ毛鉤〞と呼ばれる、傘が裏返ったような毛鉤だ。その毛鉤を下手に流して逆引きしてみたり、落ち込み脇の張り出した岩の渦に飲み込ませたりしながら、ルアーのように誘って釣り上げている。
しかも、針のサイズが大きい。僕らのドライフライが16番ほどなのに対して、浅利さんのテンカラ毛鉤は12番。それは北海道で、大物レインボーを釣るようなサイズである。その大きな毛鉤を〝ふわっ、ふわっ〞と水中で動かし、イワナにやる気を起こしてしまうのだ。
その日は、フライではイワナを8尾ほど釣り上げたのに対し、テンカラの浅利さんは、20尾を有に超える釣果だ。キャリアも腕も雲泥の差があると思いつつも、日本の風土で培われたテンカラ逆さ毛鉤には舌をまいてしまった。
翌日は、同じ白神山から流れる別の渓流の下流でヤマメ、上流でイワナを狙うことになった。秋田白神山地のヤマメは砲弾型に太っているタイプが多く、鮮やかに朱帯が浮き出た、いわゆるベッピンさんだ。その美しい渓魚を釣ろうと毎年、関東や関西から訪れる釣り人も多いという。
ヤマメはイワナと違って、主流の脇で流下してくる水生昆虫やその幼虫を捕食している。また、非常に敏感でちょっとした気配を感じるだけで、岩の下や淵の奥に逃げてしまう。そのため、ポイントへはロングキャストして、ナチュラルに流すフライフィッシングの方が有利な展開となった。
浅利さんも通常のテンカラ仕掛けよりラインを長くし、気配を消してポイントに近づくが、リールの無い竿では、どうしても限界があった。しかも気温が上がり、水生昆虫の羽化が始まると、ドライフライにバンバン飛びついてきたのだ。
サイズは20㎝ほどだが、頭の大きさに対して体高があるみごとな魚体。その姿は、活発な採餌により急激に成長した証拠だ。
餌となる水生昆虫が豊富な要因は、川の状態が良いことにほかならない。そこで改めて周囲を眺めてみると、苔を被った岸辺の石の脇には山ワサビが自生し、河畔林の下にはコゴミがにぎやかに生え、清水が滴る高い斜面にはヤマウドなどもある。人間にとってもごちそうにあふれた、豊かな渓流なのだ。
すると谷地田さんが、どこからか採ってきた大きなゼンマイを花束のように抱えてきた。そして、くるっとした新芽に付いている綿毛を指でつかみ、丸めて伸ばしながら言う。
「これが毛鉤のボディ材に最高のゼンマイ毛。この辺りのイワナ毛鉤には欠かせない素材。マタギたちは餌りより、これらを使った毛鉤釣りの方が多かったと思う。餌のミミズを捕まえても、旅の途中生かしておくのは難しいし、パッと毛鉤を出して釣る方が効率がいいからね」
ゼンマイのほかにもヤマウドやアイコ(ミヤマイラクサ)、ウルイやワラビなど、谷地田さんは釣り上がる途中で、さまざまな山菜を摘んでは小分けにし、背中のバックパックにしまう。そして、昼時になると沢水で土を落として器用に皮をむき、昼食の味噌汁の具にしたり、アイコやヤマウドの葉は天ぷらにしたりしてごちそうしてくれる。
マタギ衆にとっては、冬場の猟で得たクマやシカの肉、毛皮、そして夏場のイワナの燻製などのほかに、安定した収入源として多くの山菜やキノコも重要な収穫物だった。なかでもゼンマイは、いまでもかなりの収入になる。
最近は、高齢化やクマの被害のため険しい場所へは行きたがらないが、過去には山中にゼンマイ小屋という仮小屋を建てて泊まり込む専門のゼンマイ採りもおり、1シーズンで200~300万円も稼いだという。
「採ったゼンマイは、茹でたあとビニールシートに敷いて、天日で干して手で揉むの。そうすると柔らかくなるから、米を入れる麻袋に入れて運ぶ。だいたい1㎏3万円ぐらいかな。ゼンマイは、雪崩が起きた下にたくさん生えるから、冬に雪崩が起きた近くに泊まって雪解けを待つ。すると雪の下から、ゼンマイが顔を出すの」
そうした山菜を採取する方法も、マタギたちが住む山間集落から伝えられ、逆に旅マタギたちが各地から持ち帰った食文化や技術と交じり、さらに各地へ広めていったのではないか? と谷地田さんは言う。
そうした山村生活文化を日本各地へ伝播させたマタギの存在もそうだが、今回、谷地田さんと川を釣り歩いて気づいたのは、秋田で自然を相手にする人たちには、マタギ衆でいう〝山達作法〞の意識が根底にあることだった。
山達とは、マタギ衆の猟の安全を願うためのさまざまなタブーや山の掟だが、そのなかには自然のサイクルを乱してはならないという不文律もある。今回の渓流には、いたるところに山菜があふれており、山菜採りの痕跡も随所に残っていた。
しかし、必ず来年のため、あとから来た人のために採りつくしてはいない。日本人は「天然のものを食べる」というすごい知恵を得たと同時に、〝残して育む〞という知恵も得たのだ。
天然の渓流魚が減るいま、欧米の釣り人たちから伝わったキャッチ&リリースの概念を日本の釣り人たちに浸透させるには、「魚がいつでも居る」だけではなく、〝みんなが食べられるように〞という概念も必要かもしれない。
遠藤 昇(えんどう・のぼる)
編集者。ダンス・オン・ザ・グラウンド代表。1961年横浜生まれ。『アウトドア・イクイップメントマガジン』(ネコパブリッシング)創刊編集長。ネイチャー・クォリティーマガジン『SOLA(ソラ)』(日刊スポーツ出版)創刊編集長。環境雑誌『ソトコト』(木楽舎)副編集長などを経て、現在『FishingCafe』(木楽舎)編集統括などを努める。沖縄本島で釣ったイソフエフキが2012年4月4日付けで、『JGFA』クラス別世界記録に認定された。
出典 フィールドライフ No.56 2017 夏号
CREDIT :
取材・文◎遠藤 昇 Text by Noboru Endo
写真◎狩野イサム Photo by Isamu Kano
画◎藤岡美和 Illustration by Yoshikazu Fujioka
フィールドライフ 編集部
2003年創刊のアウトドアフリーマガジン。アウトドアアクティビティを始めたいと思っている初心者層から、その魅力を知り尽くしたコア層まで、 あらゆるフィールドでの遊び方を紹介。
提供元・FUNQ/フィールドライフ
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