プーチン氏自身、ソビエト国家保安委員会(KGB)出身であり、FSB長官でもあったから、内外のスパイ活動の動向を誰よりも知っている。誰が自分の地位を脅かすかを熟知しているはずだ。そのプーチン大統領がFSB幹部を前に、ロシアを崩壊させようとしている勢力の摘発強化を指令したわけだ。ということは、プーチン氏はロシアの指導層に自分の地位を脅かす画策が進行中だと感じ出していることになる。

ところで、最近、冷戦時代のスパイ物語を描いた2時間余りの映画を観た。監督はドミニク・クック、タイトルは英語で「The Courier」(情報の運び屋)、独語訳ではズバリ「Spion」(スパイ)だ。2020年英国で制作されたスパイ物語だが、実話に基づいている。冷戦時代に英国のスパイだったグレヴィル・ウィンの半生を描いたものだ。

ウィンは情報機関出身のプロのスパイではなく、電子技師のセールスマンだったが、CIA(米中央情報局)と英国のMI6(秘密情報部)から「もっともスパイらしくない人間」という理由でスパイに選ばれ、冷戦時代のキューバ危機(1962年)の克服で大きな役割を果たすことになる、といった話だ。主人公のウィン役にはBBC制作のTVシリーズ「シャーロックホームズ」で主役を演じた演劇出身のベネディクト・カンバーバッチだ。

冷戦時代、ソ連軍参謀本部情報総局(GRU)所属の高官オレグ・ペンコフスキー大佐はソ連の現状に絶望、家族と共に西側に亡命を希望。その旨をモスクワの米大使館に密書で連絡する。そこで大佐家族を西側に亡命させるために大佐に接触する人物が必要となった。モスクワからマークされないスパイを選ばなければならない。そこで東欧諸国で商売をしていたウィンが選ばれ、仕事でモスクワに行くたびにペンコフスキー大佐と接触し、ソ連の機密情報を入手。その中にはソ連がキューバ内で核ミサイル基地を建設する計画を記した文書があった。大佐がウィンに渡した機密情報が発覚したため、ソ連はキューバからミサイルを撤去することになった。第3次世界大戦の勃発は回避されたわけだ。実話だ。

モスクワ側はペンコフスキー大佐が西側に通じていると疑い、大佐を逮捕し、ウィンを拘束する。大佐は国家反逆罪で処刑されたが、ウィンは1年半余り拘束された後、英国で拘束中のソ連スパイとの交換で英国に帰国した。映画ではキューバ危機を阻止したスパイの活躍が描かれているが、ペンコフスキー大佐とウィンの男同士の交流も見ものだ。オペラ劇場でバレーを観ながら、その素晴らしい演劇に涙を流すウィン、その傍で自由な社会を夢見る大佐、2人の男の交流が見事に描かれていた。007シリーズのスパイ映画のような派手なアクションなどはないが、冷戦時代に生きたスパイの生き方を知る上で勉強になる。

話を現在に戻す。プーチン氏が上記の映画を観たことがあるかどうかは知らないが、ロシア国内に「第2のペンコフスキー大佐」がいるかもしれないし、欧米側が「ウィン」をモスクワに密かに送ってきているかもしれない、と考えても不思議ではない。半生をスパイとして過ごしたプーチン氏には「全ての事を疑う」という悲しい臭覚が身についているからだ。ウクライナ戦争はいよいよスパイ合戦に突入してきた。

編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年3月3日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。