考古学や分子生物学の成果を恣意的に切り取って「日本スゴイ論」や日本人単一民族説に強引に結び付けている問題は本稿ではひとまず措く。それ以上に違和感があるのは、科学的成果と記紀神話が雑然と並んでいる点である。一例を挙げれば、次のような文がある。
伊耶那岐神と伊耶那美神がお生みになった日本列島は、地質学的にいうと、 約八〇〇〇年前に現在の形になったが、昔は支那大陸(中国大陸)と繋がった半島だった。
日本神話の内容と科学的事実を混ぜたような文章で、全く意図不明である。
以下のような文章もある。
縄文時代は縄文土器が出現するところから始まる。土器に関する話は後にすることにし、先ずは『古事記』を読んでいきたい。これまで『古事記』は天つ神(天空世界である高天原の神々)を中心に物語が展開してきたが、ここから先は、須佐之男命が高天原を追放されて葦原中国(地上世界)に降り立ち、続けて須佐之男命の子孫である大国主神が葦原中国で国作りをする話に入っていく。
大国主神が国作りをしたという話はあくまで神話であって、歴史的事実ではない。この話を「縄文時代」の節に盛り込むのは、あまりに不自然である。縄文土器を作った縄文人の傍らに大国主神が実在したとでも言うのだろうか。
連載第2回で指摘したように、西尾幹二『国民の歴史』(産経新聞ニュースサービス、1999年)も記紀神話と考古学の研究成果を無理矢理つなげようとしているが、本書ほど支離滅裂ではない。保守論壇の劣化を象徴するような本と言えよう。