51歳で再チャレンジ!57歳の今でもボディビルに挑戦し続ける理由
(画像=『FITNESS LOVE』より引用)

ボディビルは生涯スポーツと言われており、マスターズNo.1を決める『日本マスターズボディビル選手権』は毎年ハイレベルな戦いが繰り広げられる。今回紹介するのは、マスターズ世代の選手の中から、51歳でボディビルのステージに舞い戻り、進化を続ける小林幸治さん(57)。昨年のゴールドジムJAPAN CUPではマスターズの部、65kg以下級でいずれも3位入賞するなど結果を残している。ボディビルの魅力、そして続けるための秘訣を教えてもらった。

学生時代、帰宅部だった小林さんは、兄が購入したベンチ台で一緒に筋トレをしていた。
「ベンチプレスをひたすら行っていました。中学卒業のときには大胸筋が動かせるほど発達していたと思います。あとは、ヒンズースクワットもよくやっていて中学生の割にはすごい脚をしていたと思います。このときに頑張っていたので、今でも大胸筋と大腿四頭筋は強みになっています」

21歳のころに千葉県ボディビル選手権に初出場。しかし最初の7~8年は全て予選落ちを繰り返していた。
「負けても、負けても、ミスター千葉のタイトルを獲りたいとチャレンジし続けました。結果が出せなくてボディビルを辞めていく人たちをみてきましたが、私はボディビルが好きだったので辞めることはなかったです」

そして競技15年目の2002年に念願のミスター千葉に輝く。
「諦めないで挑戦し続けてよかったです。ボディビル人生で一番うれしかった瞬間でした」

その後、納得のいく結果は出せない中でボディビルを続けていた小林さんだったが、2010年に競技から離れることを余儀なくされる。
「兄が他界し、両親の病院通いなども重なり、トレーニングを趣味として楽しむことにして、競技から離れる決断をしました。しかし、ダラダラとトレーニングしていたんでしょうね、2017年に健康診断で数値に異常が出てしまったんです。減量しようと決意し、それならばボディビル競技に復帰しようと思いました」

52歳での再チャレンジだったので「結果は出せないだろう」と思っていたという小林さんだったが、復帰戦のミスター千葉50歳以上の部でいきなりの優勝。その翌年には、30代のころはタイトルが獲れなかった東日本選手権65kg以下級&マスターズ50歳以上の部で優勝を果たした。
「年齢とともに1回でできるトレーニング時間は若いころより減っていたので、結果を出せたことは意外でした。50歳を過ぎてからの減量は苦労も多いので、オフの時期から脂肪を乗せないように気を遣っているのがよかったのかもしれません」

小林さんは競技から離れた時期はあったが、トレーニングは43年間ずっと続けている。
「トレーニングをしているときはトレーニングに没頭して、トレーニング以外の時間はトレーニングのことを考えない。これが長く続けられている要因だと思います。57歳になるので、健康維持が大前提ですけど、ボディビルで結果が出ると、楽しいですよね。頑張ってトレーニングすればいつか結果が出る。諦めなければ必ず身体が変わるスポーツです。ボディビルを通して、いろいろな選手と交流できていて、それらが財産になっています」

若い世代にボディビルを伝えていきたいという思いがある小林さんは2022年ミスター千葉のチャンピオン・椎名拓也さん(22)に、とある贈り物をしたという。
「昔はボディビルコンテストでもチャンピオンには大きなトロフィーを贈る文化があったのですが、最近はそれも少なくなっています。昨年ミスター千葉を獲った椎名くんも小さいトロフィーをもらっていたので、自分が昔もらった大きなトロフィーをリメイクして改めて渡しました」

椎名さんは2019年に急逝した成田晴夫さんの『スポーツGYMドリーム』の跡を継いでいる。小林さんもその思いに胸を打たれて、椎名さんを応援している。
「椎名くんにトロフィーを渡すと『本当にうれしかった』と喜んでくれました。若い世代から元気をもらいながら、自分も57歳で進化し続けられたらいいと思っています」

健康診断の数値も正常になり、元気にボディビルができる今を楽しんでいるという小林さん。生涯スポーツであるボディビルの醍醐味と、世代の垣根を越えて取り組める競技の素晴らしさを教えてもらった。

取材:FITNESS LOVE編集部 撮影:中島康介