ドイツ、ベルリン。

軽快な音楽やおしゃれなカフェや伝統的なデパートが立ち並ぶこの街を歩く時、避けては通れないものがある。

それが、"歴史"。ご存知の通り、ドイツは第二次世界大戦で日本と同盟国となり、イギリスやフランス、アメリカなどの連合国と闘って敗北した国です。街の至る所に戦争や平和に関する博物館が点在し、その数の多さに圧倒される人も多いのではないしょうか。

ユダヤ人がアウシュビッツ収容所に送られたドイツ「グルーネヴァルト駅17番ホーム」
(画像=『たびこふれ』より引用)

しかし、このベルリンに特別感を感じるのは博物館が多いからではありません。

戦争と平和に関するモニュメントや記念碑が、街中に当たり前に存在し、日常的に私たちの目に入るということ、つまり、わざわざ博物館に行ったり、あえて自分から興味を持って勉強したりしなくても、私たちは戦争や平和について知ること、考えることができるのです。

目次
悲しい歴史が残るグルーネヴァルト駅
悲しい歴史が残る場所

悲しい歴史が残るグルーネヴァルト駅

今回ご紹介したい場所は、そんな日常の中にある歴史。

「グルーネヴァルト駅17番」

ベルリン市内や近郊を走るSバーン列車。その列車に揺られ市内から約20分ほどで、グルーネヴァルト駅に列車は止まります。降りる人たちについて出口に向かうと、「17番ホームはこちら」という看板を目にすることができます。「17番ホーム?」そんなにホームはないはずなのに...と思いながら上へあがると、線路が木々に覆われた、今は全く使われていないホームが現れます。

ユダヤ人がアウシュビッツ収容所に送られたドイツ「グルーネヴァルト駅17番ホーム」
(画像=『たびこふれ』より引用)

そこをさらに進むと視界が広がります。

実はここは、第二次世界大戦時、ドイツの政権を握っていたナチ党による政策によって迫害されたユダヤ人たちが強制収容所に送られたホームなのです。つまり、このホームからユダヤ人たちはヨーロッパ中に存在していた収容所(絶滅収容所)に運ばれていったのです。

ユダヤ人がアウシュビッツ収容所に送られたドイツ「グルーネヴァルト駅17番ホーム」
(画像=『たびこふれ』より引用)

もともと貨物用のホームだった17番ホーム。このホームの上を歩く時、ぜひ足元に注目していただきたい。

ホーム上に並んだ鉄板に、何年・何月・何日・何人のユダヤ人たちがどこの収容所に運ばれたかが書かれ、まさに延々と続いています。板の数は実に183枚。収容所に運ばれたユダヤ人の数の合計を計算すると約55,000人。

これだけの数にも関わらず、ナチスの犠牲になった全体の数の100分の1ということなので、その悲劇の大きさは計り知れないことが嫌でも分かります。

ユダヤ人がアウシュビッツ収容所に送られたドイツ「グルーネヴァルト駅17番ホーム」
(画像=<「1941年7月17日99人のユダヤ人がテレージエンシュタットの収容所に送られた」>、『たびこふれ』より引用)
ユダヤ人がアウシュビッツ収容所に送られたドイツ「グルーネヴァルト駅17番ホーム」
(画像=<「1942年1月13日1,026人のユダヤ人がベルリンからリガの収容所に送られた」>、『たびこふれ』より引用)

1つ1つの鉄板の上を歩きながら想像する。どんな気持ちで彼らは"貨物用列車"に乗せられたのか。どんな想いで、誰を想い、何を想い、列車に乗せられたのだろう。そして、彼らを乗せた人たちは、どんな想いを持っていたのだろう。

私の乗る電車は私の"行きたい"所に運んでくれる。私の"帰りたい"所へ運んでくれる。

たとえ行きたくない学校や職場、苦手な場所に運ばれたとしても、"帰り"の電車に乗ることができる。間違えたら"戻る"電車もある。あの時、ここから運ばれた人に"帰る"電車はなかった。

この場所に立つことで、改めて、この先の人生、楽しいことばかりじゃないかもしれない。でも、たとえ先が見えなくても、前を向いて歩こうと思った。

電車に揺られ、毎日を過ごす。それが"生きてる"ってことなんだと感じた気がします。

明日からの通学・通勤電車が少し、変わるような気がします。

ユダヤ人がアウシュビッツ収容所に送られたドイツ「グルーネヴァルト駅17番ホーム」
(画像=<「1943年10月14日74人のユダヤ人がベルリンからアウシュビッツの収容所に送られた」>、『たびこふれ』より引用)
ユダヤ人がアウシュビッツ収容所に送られたドイツ「グルーネヴァルト駅17番ホーム」
(画像=<石を積み重ねるのは、ユダヤ人の祈りの象徴だ>、『たびこふれ』より引用)
ユダヤ人がアウシュビッツ収容所に送られたドイツ「グルーネヴァルト駅17番ホーム」
(画像=<今でも祈りを捧げに来る人は多い>、『たびこふれ』より引用)
ユダヤ人がアウシュビッツ収容所に送られたドイツ「グルーネヴァルト駅17番ホーム」
(画像=『たびこふれ』より引用)

もう二度と、この先の道が再び甦らないことを祈らずにはいられない。

ユダヤ人がアウシュビッツ収容所に送られたドイツ「グルーネヴァルト駅17番ホーム」
(画像=<駅構内に書かれた17番ホームへの行き方。>、『たびこふれ』より引用)
ユダヤ人がアウシュビッツ収容所に送られたドイツ「グルーネヴァルト駅17番ホーム」
(画像=<駅正面と。レトロな姿に歴史を感じる。>、『たびこふれ』より引用)

悲しい歴史が残る場所

この他にもベルリンの街中には、平和について考えさせられる景色がたくさんあります。

住んでいたユダヤ人の名が刻まれた「躓きの石」

ユダヤ人がアウシュビッツ収容所に送られたドイツ「グルーネヴァルト駅17番ホーム」
(画像=『たびこふれ』より引用)
ユダヤ人がアウシュビッツ収容所に送られたドイツ「グルーネヴァルト駅17番ホーム」
(画像=『たびこふれ』より引用)

道の石畳のタイルの代わりにはめ込まれた黄金のタイルは、"躓きの石"と呼ばれ、大戦中この場所に住んでいたユダヤ人がいたことを表しています。家族と住んでいたら家族全員の名前がタイルとして残っています。

ヒトラーが最後を過ごした「総統地下壕」

ユダヤ人がアウシュビッツ収容所に送られたドイツ「グルーネヴァルト駅17番ホーム」
(画像=『たびこふれ』より引用)
ユダヤ人がアウシュビッツ収容所に送られたドイツ「グルーネヴァルト駅17番ホーム」
(画像=『たびこふれ』より引用)

ヒトラーが拠点とし、ベルリン陥落時に自殺したとされる場所です。聖地化を防ぐことから長年場所は公にはされていませんでしたが、今では標識が立ち、駐車場として利用されています。

2,000もの石碑が並ぶ「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」

ユダヤ人がアウシュビッツ収容所に送られたドイツ「グルーネヴァルト駅17番ホーム」
(画像=『たびこふれ』より引用)
ユダヤ人がアウシュビッツ収容所に送られたドイツ「グルーネヴァルト駅17番ホーム」
(画像=『たびこふれ』より引用)

街の中心ブランデンブルグ門のほど近くに突如現れるこの「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」。通称"ホロコースト記念碑"は、無機質な石碑が約2,000以上も立ち並び、犠牲になった人々を偲んでいる。迷路のような記念碑の中にその身を置くと、悲しみよりも彼らが味わった恐怖や絶望の中に投げ込まれたような感覚になる。