もっと深掘りしたい北方領土問題

今週、岸田首相が日露平和条約交渉は進めていく、この基本路線はかわるものではない」と述べました。北方領土の返還も強く粘りづよく訴えていくとしています。カナダから日本に向かう飛行機に乗るとアラスカのアリューシャン列島からカムチャッカ半島の横を抜け、千島列島をかすめながら日本に向かっていきます。ある帰国の際、機内のフライトマップを全行程、オンにしていたことがあります。多分、それをずっと見ているひとは希少価値だと思います。何も見えない窓の下にそれらの島々があると思うと司馬遼太郎になった気がしたのです。司馬氏の代表的作品である「坂の上の雲」と「菜の花の沖」はロシアに焦点を当てたもので司馬氏は10年間、ロシアの研究に明け暮れたとされ、その後の回顧録である「ロシアについて」を読むとロシアをよく理解することができます。

司馬氏は歴史小説家ですが、小説家とくくってしまうのはちょっと違うと思います。彼は調査や取材を経て事実を詳細に調べ上げた上で独特の文体で一定の脚色をしますが、書によってはかなり事実に近いのだろうと思わせます。上述の2冊、特に「菜の花の沖」は途中から学術書かと思わせるような内容です。その中で興味深いのがロシアの東方政策です。私が司馬氏の発想を更に深読みするとシベリアを含む東方政策はかなり放任であり、クロテンやラッコ、北狐などの皮を稼ぎのネタとすること、そしてその権益を露米会社(Russian American Company)という国策会社を通じて吸い上げるマシーンであり、それ以上の興味は何もなかったと考えています。

それゆえにアラスカを安値でアメリカに売却してみたり、樺太千島交換条約でロシアは日本に「千島列島を全部やるから樺太を全部くれ」と言ってみたりするのです。ロシアにとって千島列島は単にラッコなど稼ぎになる動物を採取する以外の何の目的もなく、地の果てのその地に領土を所有する意義などそもそもなかったのです。むしろ、第二次世界大戦の終わりにクリミア半島で行われたヤルタ会談で日本嫌いのルーズベルトがソ連の代表であるスターリンに「あの島を持っていけ」ぐらいに言ったのだろうと思います。ソ連はどこまで東方政策に興味があったのか、私には未だに疑問が残るのです。その中で飛行機の中で北方列島に思いをはせる、というのは歴史を未だに背負っているという気にさせるのです。

後記 1月29日に「ひろのバトル大合戦」をご紹介したのですが、最近思うのはこのバトルは永遠に続くのではないか、という懸念です。日々、問題が噴出し続けるのは相互理解の欠如、人々の忍耐強さの欠如、コミュニケーション不足、勝手な妄想など自分がどれだけ準備しても落とし穴だらけだという気がしてきたのです。私もチャレンジャーだし、問題解決のプロだと自負していますが、ずっと目をかけていなくてはいけない社会が訪れたと時代の変遷を感じないわけにはいかないのです。

では今日はこのぐらいで。

編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年2月11日の記事より転載させていただきました。