石破茂です。
今週は連日予算委員会の審議で終わりました。予算委員会の在籍も随分と長くなりましたが、白熱した議論も、心が揺さぶられるような質問や答弁も、審議が中断することもなく、審議が淡々と進んでいくのが最近の際立った特徴です。政府・与党としては誠に有り難いことですが、経済政策、安全保障、少子化対策、コロナ対策等々、議論が深まらないのは一体何故なのでしょう。
野党が相変わらず顔見世興行的に多くの質疑者を立て、議論が深まらないままに「時間がないので次の質問に移ります」「持ち時間が終了しましたので、次の質疑者に代わります」などということを繰り返しているのでこのようなことになるのではないでしょうか。
野党第一党である立憲民主党の支持率が僅か2.5%(時事通信1月世論調査)というのは極めて異様なことですが、彼らの質疑からはその危機感が全く感じられません。
党首討論も全く行われていないのですから(そのために衆参両院に設けられた国家基本政策委員会だったはずですが)、予算委員会で野党党首、特に立憲民主党代表は同党の持ち時間のすべてを使ってでも総理と議論すべきだったのではないでしょうか。政権を担う気概のない野党は鼠を捕らない猫のようなもので、野党がしっかりしなければ与党は現状に安住し、民主主義も機能しないことを知るべきです。
共産党など一部を除く野党も、質問の冒頭に「防衛費の増額には基本的に賛成」などと言うものだから、迫力が全くなく、議論も深まらない。防衛費増額の内容について言及する質疑者も皆無でした。我が国を取り巻く安全保障環境がかつてないほどに悪化している、とするのはどういう分析に基づくものなのか、その精緻な議論を期待していただけに残念でなりません。
日米安全保障体制の抑止力を強化するにあたって、日米合同司令部の設置と核シェアリングの議論は不可欠です。どちらも我が国ではずっと忌避されてきたテーマですが、「安全保障政策の大転換」を謳う以上、避けて通るべきではありません。合同司令部なくしてどうして同盟が迅速的確に機能するのか、核シェアリングは核兵器そのものをシェアするのではなく、意思決定のプロセスと核攻撃のリスクをシェアすることがその本質ではないのか。その議論がない安保論争にはいい加減に終止符を打たねばなりません。
いわゆる「反撃能力」はいかなる抑止力なのか、ということも明確にしておく必要があります。報復的・懲罰的抑止力を保持しないことは依然として変わらないのでしょうが、さりとて相手に「日本を攻撃しても所期の成果が得られないのでやめておこう」と思わせる、ミサイル防衛やシェルター整備などの拒否的抑止力とも性質が違うように思われます。
また、「台湾有事は日本有事」と当然のごとくに語る向きもありますが、事態の推移につき、条約や地位協定を精緻に検証しながら考えていく作業も必要です。仮に中国が日本に対する攻撃を一切伴わず、台湾のみを攻撃した場合、安保条約第6条の極東有事となり、在日米軍の日本からの出撃が日米事前協議の対象となることが考えられます。