戦国時代の国別石高を30年後の太閤検地の結果と同じにはならないが、少なくとも100年以上も先の江戸医時代の石高よりは推定の材料にはなるのは当たり前である。
ところで、天正年間の木曽川の洪水で、流路が変わってしまったことはあまり知られていない。
このことは、地名に痕跡を残している。
太閤検地での石高は、尾張が571,737石で、美濃が540,000石だ。この尾張のなかには、羽栗郡14000石、中島郡8500石、海東郡86000石が入っている。それに対して、美濃にも羽栗郡19000石、中島郡87000石、海東西郡11000石がはいっているが、それが木曽川が流れを南に変えたので、尾張の一部が川向こうになり、やがて美濃に編入されたというわけだ。
こういうことはよくあって、その結果、一つの郡が複数の国になっていることが多い。たとえば、葛飾郡は下総国の一部だったが、利根川本流が現在の隅田川から銚子方面に付け替えられたので、葛飾郡は東京、千葉、埼玉、茨城に分かれているのである。
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