味噌選びは難しい。。。
新しい味噌を試してみようかな、と思っても、自分が育った地方の味噌に舌が慣れているということもあるでしょうし、味噌を買う時に味見できる店もなかなかないため、冒険がしにくいということもあるでしょう。
ついつい、これまで使っていた味噌でいいか、という思考になりがちではないでしょうか。
今回、縁あって長野県中野市で250年以上も続いている小さな蔵「ふくろや」の味噌と出会いました。
昔ながらの手間ひまのかかる造り方を継承しているこだわりとおすすめの食べ方を実践しましたのでご紹介します。
ふくろやの歴史
ふくろやの歴史は、江戸時代の明和元年(1764年)に始まり、現在まで250年以上もの歴史を刻んできました。


江戸時代の信州中野は、天領と呼ばれる幕府の直轄地でした。 幕府の代官所である「中野陣屋」が置かれたこの地には人や物資が行き交い、 活気に満ち溢れていました。
味噌、醤油などの醸造業を営んでいた六代目 袋屋清左衛門は、 俳人小林一茶を始め多くの文化人を招き入れ、句会や勉強会を催すなど、北信州の文化発展の中心的な役割を果たしていました。
小林一茶が訪れたのは、文化文政期のこと。門人たちが集まり、歌仙が行われました。一茶は晩年、しだいに袋屋に寝泊まりして、長逗留することが多くなりました。
一茶は袋屋の庭「楳装園」をとても愛していました。この庭は、国学者本居宣長の養子本居太平の構想によるもので、回遊式で突き出た船形石など随所に特色をもたせています。一茶はこの庭を散歩したり、日向ぼっこをしながら無心に、庭ごしの大空を眺めていたといいます。特に船形石が気に入っていて、この石にひっくり返ってもの思いに耽っていました。そんなことから、いつの間にかこの石を「一茶の座禅石」と呼ぶようになりました。今も一茶が愛したこの庭は当時のままの姿で佇んでいます。
(ふくろや公式サイトより抜粋引用)

ふくろやの味噌造りへのこだわり
ふくろやは「きちんと寝かせた味噌を出荷する」ことを第一に考えて味噌を造っています。
信州は昼夜の温度差が大きく、味噌の成熟にぴったりの風土に恵まれています。ふくろやのみそは熟成させる(寝かせる)前の段階、つぶした大豆と麹をあわせる工程を機械に頼らず、あえて手作業で行っています。これは塩のばらつきを生じさせるためで、そうすることにより熟成中に多くの乳酸が出て、いわゆる"塩のカド"をとり、まろやかな味わいとなります。伝統を守り、素朴な手造り生産のため大量生産は不可能ですが、蔵出しのほんものの味噌を愛される方に味わっていただきたい逸品です。
近年の温暖化で、昔より気温が高くなったことにより、最良の状態で商品を出すタイミングが変わって来ており、それを測るのは難しくなってきていますが、手作業での味噌造りにこだわっています。
味噌をきちんと寝かせることと共にこだわっているのは、素材です。米、大豆、塩、はすべて国産、国内製造のものを100%使っています。
