推理小説家・井沢元彦氏の『恨の法廷』(日本経済新聞社、1991年)は奇妙な小説である。ソウル近くの高速道路で起きた銃撃事件とそれに伴う高速バスと自動車の衝突事故で亡くなった多数の日本人・韓国人が死後の世界に行き、天帝の前で日韓歴史認識問題について討論するというものである。日本側の立会人として聖徳太子が、韓国側の立会人として檀君(朝鮮民族の始祖とされる伝説的な神人)が現れ、日韓の歴史上の偉人が証人として次々に呼び出される。
日本側は、和田夏彦という名前の小説家が中心となり、「日本の文化は、すべて韓国が与えたもので、まったく独自のものはない」「にもかかわらず、朝鮮半島に対して侵略を繰り返した忘恩の徒である」といった韓国側の主張に逐一反論していく。〝論破〟された韓国側は自分たちの独善性と偏見を認め、〝真の日韓友好〟に向けて歩みだす、といったものである。

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討論形式で歴史認識問題を語る『恨の法廷』のスタイルは、良くも悪くも時代を先取りしていた。「新しい歴史教科書をつくる会」がディベート教育を重視したことは広く知られている(1994年8月に開かれた歴史ディベート「大東亜戦争は自衛戦争だった」など)。また嫌韓ブームの火付け役として悪名高い『マンガ 嫌韓流』(晋遊舎、2005年)も、ディベート形式で日本人が韓国人の歴史認識を〝論破〟していくものである。
ただし、井沢氏の名誉のために言っておくと、『恨の法廷』は、以後の嫌韓本と異なり、日本が朝鮮半島を植民地支配したことを正当化してはいない。日本側の討論者で井沢氏の代弁者とも言える和田夏彦は「日本がかつて韓国を植民地支配し、圧制を敷き、多くの人間を虐殺したことは事実」「皇民化政策という愚かな政策」と語っている。