多くのピアニストがショパンの中でも最愛の曲として挙げる「舟歌」は、ポゴレリッチの手にかかるとユニークな裏色が見えてくる。アクセントのつけ方のせいか、打鍵のダイナミズムのせいか、ムソルグスキーの「展覧会の絵」を思い出す瞬間もあり、これは他のピアニストでは一度も感じたことがない経験だった。
アンコールの嬰ハ短調のプレリュードは、24の前奏曲からはみ出した独自の不安定な転調が続く曲で、トリスタン和音のようなものが気配として感じられた。ある不安に満ちた和音がまず作曲家の脳裏に浮かび、それを次々と転回させていくと、あんな万華鏡のような曲が出来るのではないか。
アシュケナージがいつか語ってくれたエピソードを思い出した。『タンホイザー』のパリ初演に当たって、ショパンは「スコアを見たが、和声的には自分の方が先を言っているから聴きにいく必要はない」と語ったという。
ラストのアンコールはノクターン18番で、ポゴレリッチのノクターンといえば16番という頭があったが、彼はこの18番も何度も素晴らしく弾いていたのだった。このノクターンでもワーグナーを思い出すふしがあった。
「子守歌」「舟歌」からのポゴレリッチは、オペラグラスで見るとずっと目を瞑って苦吟するような表情をしていて、聴衆に大きなものを与えようとしている「念」を感じずにはいられなかった。世に名前が出た頃から数々の誤解を受け、狭量な批評も浴びせられてきたポゴレリッチが、不屈の精神で伝えようとしてきたのは、聴衆への変わらぬ愛ではなかったか。
アンコールのノクターンで星空のようになったサントリーホールが、温かいもので満たされた。この宇宙は学校で、リサイタルは貴重な授業なのだ。アナウンスでのポゴレリッチの声を思い出し、ピアニストがずっと聴衆とともに生きようとしてきたことを実感した。「我々はここまで来たのだ」と何か嬉しくなった。
編集部より:この記事は「小田島久恵のクラシック鑑賞日記」2023年1月15日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は「小田島久恵のクラシック鑑賞日記」をご覧ください。