「あの頃は良かった」の「あの頃」は人それぞれだと思いますが、クルマに関してはバブル景気の頃にデビューしたあのクルマが良かった、という人は結構いるでしょう。その中でも、現在ではコンセプト的に全く断絶した、あるいはあの頃の姿をもう1度という事で再販して欲しいというクルマもあると思います。無理を承知で、この想いをメーカーに届けたい!
バブル崩壊後の「失われた10年」の時代がやたらと長かったもので、バブル景気そのものも結構長いイメージがあります。
しかし、実際には1986年から1991年までの5年間、雰囲気的には「おい、もしかして景気がいいんじゃないか?」と思い始めた1988年から、「もしかして、いよいよもうダメなんじゃないか?」と誰もが実感せざるをえなくなった1992年までの4年間と言われています。
バブル真っ只中の1989年頃にできた施設が、1992年頃に廃墟になっている写真が週刊誌を賑わせて、いろいろなものがガラガラ崩れていった記憶は、なかなか生々しいものがあります。そのような中で景気が上向いた1980年代後半から、バブルマネーを注ぎ込んで作り込み、贅沢に開発された1990年代前半までにデビューしたクルマたち。
トヨタ カローラですら豪華に作って「SE-L」というグレードをつけたらメルセデス•ベンツから「ウチの560SELじゃあるまいし」とクレームがついたほどです。
その中でも、コンセプトそのものが断絶して現代では後継車と呼べるものが無いクルマや、現在でも代を代えて続いているものの、あの頃の初心にかえってほしいクルマを紹介したいと思います。
順番としては、排気量で小さい順から参りましょうか。
1985年に50馬力の大台に乗せてデビューし、第2次軽自動車パワーウォーズの火蓋を切ったのが、このL70V型ミラターボ。
デビュー直後に追加設定され、当時としては派手なエアロで武装したミラTR-XXはまさに近代軽自動車の元祖ホットハッチとも言うべき存在。1987年にスズキから初代アルトワークスがデビューしてからも電子制御インジェクションの採用やブーストアップで最高出力をアルトワークス同様の64馬力に引き上げて対抗したのです。
そのライバル、アルトワークスが復活した現在、ミラには燃費スペシャルのミライースと、モデルライフ末期のミラしか存在せず、ターボ+MTというアルトワークス対抗モデルが存在しません。
あるいはキャストスポーツがそのポジションにあるのかもしれませんが、往年のダイハツファンとしてはアルトワークスが復活したならば、次期ミラには是非ともTR-XXを!と願わずにはいれません。
1988年にラリーなどの競技用ベースモデルとして颯爽とデビューしたのがマーチR、そしてその一般向けバージョンがマーチスーパーターボです。
フォルクスワーゲンがゴルフなどに搭載するよりずっと前にターボ+スーパーチャージャーのツインチャージャーを採用しており、国際モータースポーツ規則のターボ係数(排気量の1.7倍)を掛けても1600cc以内に収まるよう、通常のK10マーチ(987cc)より排気量ダウンした930ccのMA09ERTエンジンを積んでいたのが特徴でした。
特にマーチRは競技ベース車として走るための機能以外は非常に簡素なものとなっており、豪華装備満載で高価なモデルより、こうした本当の意味での安価な入門ホットハッチの復活が望まれます。
ホンダ シティと言えば一般的には「ブルドック」の愛称で知られたターボモデルやポップなボディカラーのカブリオレなども設定されていた初代モデルの印象が強いと思います。
走りの世界でもバブル時代以前にはムーンクラフトのエアロを装着したブルドックのワンメイクレースが行われていましたが、本当に速いシティとして現在でも切れ味鋭い走りを見せるのは2代目のGA2シティを置いて他無いでしょう。
現在に至るまで、1500ccより下の排気量でGA2より速く走れるコーナリングマシンなど存在せず、ツイスティなコースを攻めるジムカーナではカミソリのようなコーナリングでランサーやインプレッサなどハイパワー4WDを相手にしても一歩も引かない走りが可能なのはGA2だけです。
あまりの速さにいつまでも現役にとどまり続けるため、競技規則でGA2が出られるイベントが非常に限られるほどの「禁断のマシン」。もし復活するような事があれば、1,600ccまでのクラスで戦うあらゆるモータースポーツドライバーがこぞって乗り換えるのは間違いありません。
言わずと知れた、1989年にデビューするや世界中にライトウェイトオープンスポーツ復権の嵐を起こし、その後数多くの同種車が登場するキッカケとなった革命的なモデルが初代NA型ロードスター。
ロードスターそのものは現在でも4代目のND型として続いているものの、初代のイメージを崩さないよう、現代的なリファインもしないといけないというジレンマの中で代を重ねてきたような面もあり、どうしてもぎこちなさが目立ってしまいます。
ならばいっその事初代ロードスターを、この美しいデザインのまま復活したらどうであろうか?!と思う人も少なくないはず。
さすがに現在では、歩行者安全の観点からリトラクタブルライトまでの復活は難しいかもしれませんが、マツダならば走りとデザインの両立をやってくれるのではないかと期待してしまいます。
マツダが最近公表したスロットル制御によるスタビリティコントロール、「Gベクタリングコントロール」と組み合わせたらどんな走りになるだろう、など考えるだけで楽しいですね。
そんなクルマあったっけ?と思う人の方が多いのではないでしょうか。
当時からそれほど有名なクルマではありませんでしたが、リトラクタブルライトによりスマートなフロントデザインに、居住性の良い4ドアハッチバッククーペ(マツダ独自の呼称で、要するに5ドアハッチバック)ボディ。
そしてこれもスマートなリアエンドの処理と、コンパクトにまとめていながら都会の風景がとてもよく似合ったコンパクトカーが、ファミリアアスティナ(およびユーノス版のユーノス100)です。
マツダが致命的な経営危機に陥るきっかけとなった多チャンネル化の中で、車種が急増したため目立たない存在ではありましたが、間違いなく当時のコンパクトカーの中では群を抜いてスマートかつスポーティ、とてもファミリアの派生車とは思えず、そのコンセプトは次世代の名車ランティスに受け継がれました。
ヨーロッパでは人気があったものの日本では販売がパッとしなかった原因には、1989年当時の日本ではまだ5ドアハッチバック的なモデルの人気が無く、「ミニワゴン」や「ショートワゴン」などとステーションワゴンの一種でないと売れない背景がありました。
しかし、乗用車と言えば5ドア車が当たり前となっている今ならば、まだまだ通用するスタイリングと共に、4ドアスポーツクーペとして人気となる要素はあります。
時代の波に乗れなかった不遇なモデルでしたが、是非とも再評価してほしい1台です。
日産に小型FRスポーツの復活を望む声が高まっていますが、あえてそこで推したいのが、S13シルビアではなくR32スカイライン、それもGT-R以外のモデル。
今では完全に「GT-R」と独立したスーパーカーになっていますが、R32の頃からGT-Rはスカイラインとは全く別なクルマであって、同じ価値観で語れるクルマではありません。
GT-Rのおかげで格下のように見られていますが、R32そのものが本来は近代的なデザインをまとい、コンパクトなパッケージングでよくまとまった、優れたハンドリングを持つスポーツセダン/クーペだったのです。
確かにS13シルビアも魅力的ではありますが、直列4気筒NAから直列6気筒ターボまで選べるエンジンの多様さや、高速安定性、それに安定性の面でやや車重が重い事を除けば素材としてはシルビアよりはるかに優れており、サーキット走行からドリフトまで、さらに公道での快適性まで広いステージで活躍させようと思えば、GT-R以外のR32スカイラインがベストだと思います。
現在のスカイラインは、いっその事インフィニティQ50/Q60として北米と同じく高級スポーツセダン/クーペに転換し、本来のスカイラインの姿としてR32を小型FRセダン/クーペとして復活してはもらえないでしょうか。
最後のオチというわけではないのですが、スポーツミニバンとしてシャリオ リゾートランナーGTの復活を三菱に強く希望したいと思います。
2リッター直4DOHCインタークーラー付きターボエンジンはランサーエボリューションと同じ4G63で、230馬力を発揮!
しかも7人乗りの純然たるミニバンでありながら、5速マニュアルミッションが設定されており、4WDターボ+MTのミニバンは日本唯一。
知る人ぞ知る通のスポーツミニバンという事で、「シャリオエボリューション」と呼ばれるほどです。
確かにスポーティな走りを期待できるミニバンというのが他に無いわけではないですが、ある意味ここまで同乗者を無視してドライバーの楽しみ優先で割り切ったミニバンというのもなかなか無いもので、ここまで付加価値があれば燃費だなんだと細かい事を気にする事も無いでしょう。
エコカー減税よりも大事なものがある、と感じている人には、強烈に訴えるものがあるはず。
スバルもリッター10kmいかないスポーツワゴンなどを堂々と売っている事ですし、ランエボXの4B11を搭載して6MT+4WDのスポーツミニバンなど、復活させてはみませんか?
どうしてもこのシャリオリゾートランナーGTを出したかったので1995年デビューと少しバブルから外れたモデルをねじ込んでしまいましたが、これもある意味「あの時代の産物」として寛容に受け取っていただければと思います。