所謂コンテンポラリーでも、「全く分からんなぁ…」と言う人が結構いる一方で、「素晴らしい!」としてちゃんと値が付いて行き、当該範疇の一つに相応しいと思う人もいます。感性豊かな人から見るに、新しい芸術の世界をそこに認識し認め、評価しているのです。私も「全く分からんなぁ…」の方ですが、それは好みの問題であると共に、時代の問題もあろうかと思います。
唯、江戸時代につくられたものでも、今日的新しさがある、といった形で評される芸術作品も数多あります。私はその辺り、人間が美しいと感じるものは古今東西ある面で変わらぬ部分はあるのかもしれない、と最近思ったりもしています。
何れにせよ感性豊かな人というのは一つの言い方をすれば、時代の風を感じられる人、その生きている時代をつかまえられる人のことでしょう。何事にも全て兆しがあります。「微を見て以て萌(ほう)を知り、端を見て以て末を知る」(『韓非子』)--先ずは「虚にして」微かなる兆候に気付き敏感に反応するのです。そしてそれを突き詰めて行く中で、感性というものは次第に磨かれるのかなと思ったりしています。
編集部より:この記事は、「北尾吉孝日記」2023年1月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。