これまでの長い歴史のなかには、後継車やコンセプトを受け継ぐ車が無かった、メーカーの都合でモデル整理の憂き目にあってしまったなど、さまざまな理由によって姿を消した車が存在しています。今回はそうしたなかから、スポーツカーを紹介しましょう。
スポーツカーと言えば、カタログスペックに踊らされ、つまらぬいさかいのもとになるのがカーマニアの悲しい性というもの。
しかし、パブリカ用の非力な空冷2気筒水平対向エンジンをファインチューンのみで搭載し、あとは優れた空力と軽量ボディだけでハイパワーのホンダ S600と激闘を繰り広げたのがトヨタ スポーツ800です。
カタログ値など実際のレースでの戦績で吹き飛ばせることを証明していた車でした。
90年代あたりから車がやたらとカドの取れた丸っこい車が多くなりましたが、それ以前に作られたコンパクトクーペのパルサーEXAは、リトラクブルライトを装備したベルトーネ風の角ばったボディがとても個性的に思えます。
1.5リッターSOHCターボの動力性能はたいしたものではありませんでしたが、格好良さが受けて、2代目は独立したEXA(エクサ)となりました。しかし結局、この2代目で廃盤となりました。
マツダが唯一送り出した市販3ローターエンジン20Bを搭載したモデルが、ユーノスブランドから発売されたコスモです。
レーシングカーやチューニングカーならローターの3つや4つは当たり前ですが、メーカー純正の3ローターエンジンを積んだのは、ユーノス コスモ1代きり。
実用燃費が2km/Lを切るとも言われていたもので、バブル崩壊であえなく消滅しますが、世が世ならスーパーカーのような扱いで残ることはできなかったのかと思います。実際、街中でコスモを見かけたとしても、たいていは2ローターの13Bでした。
あるいは、こういう車を作っていたことも、当時のマツダが傾いた原因かもしれません…。
スズキと言えば、"軽より安いコンパクトカー"として、かつてカルタスを大ヒットさせましたが、それに高回転型DOHCエンジンを搭載したスポーツモデルがカルタスGT-iでした。
国内外のレースやラリーで活躍したほか、パイクスピーク・ヒルクライムではツインエンジンのカルタスが登場し、モンスター田嶋氏がその巨体を車体からはみ出させそうにしながら走らせました。
スズキの廃盤コンパクトが出るなら黙っていないのが、ライバルのダイハツです。
画期的なリッターカーとしてデビューしたシャレードはサファリラリーでも大活躍し、3代目G100Sの頃はトヨタ セリカGT-FOURの次に速い"
アフリカの小さな巨人"と言われます。
新谷かおるのラリー漫画「ガッデム!」に登場するミサワ・ラレードGTiのモデルにもなりましたが、4代目の時に何を思ったか肥大化してリッターカーでいられなくなり、あえなく廃盤になったのは残念でした。
ダイハツのオリジナルで、最後の専用設計の小型車(その後のストーリア以降は軽自動車ベース)として、海外でも根強いファンが多く、ホモロゲーションが切れるまで国際ラリーで活躍しました。
スバル インプレッサWRXが「WRX」と名を変えて、2017年現在も存在し続けているに対し、惜しまれつつも廃盤となったのが三菱のランサーエボリューション。
初代ランエボを出す時には「ボンネットを2500台分作ったら壊れる特殊な金型を使っているから、それ以上は作れない」と言われながら、増産につぐ増産と、モデルチェンジを繰り返し、結局10世代に渡って作り続けたモデルです。
最後はベースのランサーが廃盤になって、ギャランベース。それでもランサーを名乗っていましたね。
モーターショーでもオートサロンでも好評だったトヨタの小型FRスポーツ「S-FR」ですが、最近では噂も聞こえなくなりました。
販売サイドとしては当然な話で、入門FRスポーツというなら価格は安くなければ売れませんし、ただ小さいだけで高価になるなら86と変わり無いので、同じパイの食い合いになるだけ。
86の後継車を1クラス上位の高級FRスポーツとしてスープラ後継に、「S-FR」はそのままデビューさせて86の後継に、とすれば妥当なところかもしれません。
ただ、それでは結局「発売してみたら安価なFRなんて無かった」ということになりかねず、トヨタには”安価な入門FRスポーツ”を発売してほしいものです。
その答えを探してみたら、もう30年以上前にトヨタ自身が持っていました。画像のKP61スターレットがそれで、まだFR時代のスターレットは、FRであるがゆえに、現在でも世界中のさまざまなファンに愛されています。
また、その先代のKP47パブリカ スターレットなどは、まさにS-FRが本来目指すべきコンセプトそのままといえるのではないでしょうか。