その上で言論の自由だ、民主主義のあるべき姿だ、と言われても私は結局、世間を惑わすだけではないか、という気がするのです。

ビジネスの世界ではマーケティングを重視します。それは人々が欲しくなる商品を開発する意味ですが、SNSの世界でマーケティングすればどうなるでしょうか?万人受けして、注目を集める写真や動画をアップすることでしょう。インスタのフォロワーが万人単位の人々が着目するのは「極めの一点」です。かわいい、素敵、きれいと言った感情表現であり、それは特に女性がもつ感性の脳の反応に強く訴えます。私はSNSはもはや感性の世界であり、文字の世界ではない、つまり、言論というより浅い認知行動と反射的反応であると考えています。

10数年以上も前から私は携帯テキストのやりすぎは人間の思考能力を低下させると申し上げました。残念ながらそれは着実に進んでおり、今は文字文化ではなく、絵や動画文化になってしまったです。文字が読めない社会に変質化しつつあるのです。

この読み手の認知力の低下の中でやみくもな言論の自由は危険すぎる、それが私の思うところです。つまり、一定のコントロールは社会を守るだけではなく、マインドコントールされないための絶対不可欠な制御ラインであるとも言えます。

昔の人はそこまで簡単に騙されなかったと思います。今は社会の進化について行けない人たちが簡単に騙されるのです。それを社会は放置してよいとは思えません。いつか、人々の能力の底上げがあればまた別ですが、今はあまりにも稚拙な人々が世界中で増えてきた中で言論の自由は無秩序な社会を生み出す第一歩になりかねない危惧を持っています。

では今日はこのぐらいで。

編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2022年12月12日の記事より転載させていただきました。