「カルテルの中心になったという関西電力が・・・処分を免れた」という不満は他の事業者の立場からすれば理解できる。自ら他の業者を巻き込んでおいて自らが制裁から免れるというのであれば、巻き込まれた方からすれば「もらい事故」みたいなものだからである。

しかし、支配型私的独占になるような特殊(例外的)なケースを除いて、独占禁止法違反を「する」か「しない」かの判断において「する」という決断している以上、責任は免れない。

「不公平感」は確かにある。しかし、この制度それ自体が、違反行為をしておきながら(違反により利益を出しておきながら)課徴金が減免されることに、国民からの不公平感(反倫理感)が伴うものであった。それよりも違反の摘発と違反の抑止の効率性にこの制度の合理性が見出された。

残存する利益はより大きな国民の利益を得るための「インセンティブ」だ。他の事業者への違反行為の「強要」、他の事業者に対する違反行為をやめることの「妨害」のような例外的場面でない限り、申告事業者への減免は認められる。

そういう制度になった以上、コンプライアンス活動はそれを前提になされなければならない。それでも不公平云々をいうのであれば、その事業者のコンプライアンスはその程度のものだ、ということになる。

リーニエンシー制度が導入されてそろそろ20年が経過しようとしているが、まだまだコンプライアンスのマインドは旧態依然、ということか。