肥後ジャーナル読者さまより。メールをいただきました。
「西里線を田原坂方面に走っていると、右手にモアイ像が建っているのです。調べてもらいませんでしょうか?」
熊本に何箇所かモアイ像が建っているところは知っているのですが…田原坂近くにあるのは知らなかったので、行ってきました。
しかも、モアイ像を冬仕様にするためのお手伝いもさせていただきました!
確かにモアイいました
情報にあったように、西里線を崇城大学の方から田原坂方面へ車を走らせました。

左手は畑や田んぼ、右手に住宅が並んでいます。この辺なのは確かなんだけどな

んん???

いた!!!
いましたよ!!(青丸で囲ってるところ)って小さくて見えないですね、近づきます。

はい、間違いなくモアイ像です。
個人宅なので、場所は特定したくなかったのですが…無駄ですね、目立ちすぎる。
ここまで来たら、持ち主に話を聞かずにわはおれぬ。

こちらが、モアイの持ち主である古財さん。
伊藤「ズバリ!何故ここにモアイがあるのですか?」
古財さん「全部で4トンあっとですよ」
4トン!
めちゃ重い!!のは分かったのですが、質問に答えてください。
古財さん「えーと、金額はちょっと言えないです」
知りたい!
でも、とりあえず聞きたいのはそれじゃない。
古財さん「えーと」

古財さん「好きだから」
ですよねぇ!
好きじゃなきゃ買わないもん!!
伊藤「なぜここに置いたのですか?」
古財さん「目印になるように」
どんだけ目立ちたいのよ!もう、古財さん面白すぎる。
古財さん「私の父が、古いものを集めていまして、その影響で私も集めるようになりました」
聞けば、古財さんのお父様は田原坂資料館の館長さんだったそうです。
お父様が集めたコレクションを見てるうちに、歴史のロマンに取りつかれたそうです。
古財さん「ちょっと、見てみます?」
鉄砲・大砲・土器・銅鏡などなど
図々しくお宅に上がらせてもらい
西南戦争にまつわるものを沢山見せていただきました。

実際に西南戦争で使われた兵銃や火縄銃、銃剣、大砲など所狭しと置いてありました。

銃はほとんど今も使えるものらしいです。

タヌキさんが、すごい存在感。見るとこはそこじゃありません。

採掘された不発弾。持たせてもらいましたが、ずっしりと重く片手では無理。こんなものが飛んできてたなんて…。

これが実際使われていた、イギリス兵銃「ウェストリーリチャーズ」。これも重い。戦争の歴史がこの銃に秘められてると思うと、重厚感が一層増してきます。
古財さん「こっばかかえて山ば登ったり走ったりしよったんだけんねぇ」
考えるのは、どれだけきつかったのかよりも、どれだけの想いを抱えて走ってたんだろう…。その想いはきっと銃よりも重かったはず。

これに、鉛を流し込み弾を作っていました。

そうそう上手くは作れないようです。
西南戦争の話はここまでで、次は太古の昔に作られた銅鏡を見せてもらいました。


方格規矩文鏡(ほうかくきくもんきょう)といって、弥生時代中期から後期に使われていたものらしい。

こちらは弥生式土器。ラッカーうすめ液は現代のものです。
伊藤「ちなみに、コレクションの中で一番貴重なのは何でしょうか?」

ゴソゴソ…
古財さん「これですね」

取扱い注意!!
先日まで博物館に貸し出していたそうです。

西南戦争を描いた版画です。

古町と書いてある(現在の新町)ところから煙が。段山での戦闘を描いたものですね。
なかなか、お目に係れないものを間近で見れせてもらいました。モアイからの貴重な体験でした。情報を寄せてくれた方に感謝です。