日本共産党の小池晃書記局長は、田村智子政策委員長に対して行った自らの「パワハラ」について、党の常任幹部会で「自己批判」「相互批判」を行ったということで、処分が終わったようだ。
当然、「自己批判」だけで済ませたことへの外部からの「他己批判」はとても多い。それらの批判はどれも尤もで、わたしが付け足すものはなにもない。
しかし、田村智子政策委員長はこの事件で、多様性・ダイバーシティというものの大切さを改めてわれわれに示してくれたとわたしは思っている。

多様性とリスペクトに富む日本共産党の面々 一番右が田村氏 日本共産党HPより
もしわたしのような日本人壮年男性が、あの日あの時場所で田村氏の席に座っていたのならば、間違いに気づいてもスルーしていた可能性が高い。日本の組織人としては、公衆の面前でボスの面子をつぶすことだけはあってはならないことだ。自分の身の安全のためにも、全力で最大限に空気を読んでいたであろう。どうしても訂正しなければならないとすれば、他の訂正方法を考える。それが視聴者にどんな印象を与えようとも。
しかし、田村氏はそれをしなかった。
ここで画一的な空気読みをしなかったということで、「共産党内の閉塞感に光を当てる」という他の幹部・党員にはなしえなかった点を鑑みて、やはり「多様性・ダイバーシティは大切だよね」とわたしは改めて思った次第である。
しかも、である。今回の騒動で田村氏が小池氏に対して(傍から見て)圧倒的な優位なポジションをとれたのは、田村氏の政局観によるものではなかろうか。ここまで小池氏が批判されることを織り込んで、この「訂正」を差し込んでいるとすれば、田村氏は相当の「策士」である。
田村氏はその後の記者会見でも「パワハラ受けた認識なく困惑」とコメントを残し、自らへのダメージ・コントロールに関しても鉄壁の対応である。
もしこのような人物が共産党の代表(今現在は委員長ということになっている)に収まることになれば、与党はもちろん他の野も党にとって脅威となることは間違いあるまい。あらゆる不利な局面を打開できるポテンシャルをもっている。
しかし、田村氏がなんにも考えずに、小池氏が間違えたから脊椎反射的に訂正とした可能性も捨てきれない。そんな人物が政策委員長まで上り詰められるとは常識では考えられないが、ときに常識が全く通用しないのが非情で冷酷で残酷な政治の世界である。
仮にそういうぼんやりした人物なら、第三国に簡単に利用されてしまったりしそうで、それはそれで日本国民にとって脅威となるであろう。
いずれにせよ、田村智子政策委員長の今後の活躍から目が離せないのである。