スニーカーの中でも特に人気がある「エアジョーダン1」だが、今夏も「High」、「Low」といったバリエーション豊富に発売されたが、今回は「エアジョーダン1」を振り返ってみる。

「エアジョーダン1」とは「ナイキ(NIKE)」から発売されているバスケットシューズでマイケル・ジョーダン(Michael Jordan)のシグネチャーモデルである。バスケットの神様ことマイケル・ジョーダンはバスケを知らない人でも一度は聞いたことあるほどのスポーツ選手だが、いったい何故「エアジョーダン1」が発売されるようになったのだろうか。

マイケル・ジョーダンとは1990年代にバスケットチームのシカゴ・ブルズを6度の優勝、5度のNBAシーズンMVP、6度のNBAファイナルMVPを受賞するなど数々の功績を挙げ、チームを勝利に導かせる選手で注目を集めていた。ノースカロライナ大学チャぺルヒル校時代では主力としてチームを支え全米大学体育協会男子バスケットボールトーナメントで優勝、ロサンゼルスオリンピックではアメリカ代表を優勝に導くなど、活躍していたが当時から「ナイキ」と契約していたわけでない。大学時代は「コンバース(Converse)」、オリンピックでは「アディダス(adidas)」を着用し本人も「アディダス」が大好きなため「ナイキ」に契約を打診されても渋っていたそうだ。しかし、新人としてシカゴ・ブルズに入団した際に「ナイキ」は破格の金額とシグネチャーモデルの作成を提示したことで、マイケル・ジョーダンとの契約を勝ちとったのだ。その際に開発されたのが「エアジョーダン1」で、後に「ナイキ」はバスケットボール界の頂点に上り詰めることになる。

しかし、当時のNBAではバスケットシューズの規定が厳しく、「エアジョーダン1」も例外ではなかった。ユニフォームの統一性の規則により色の面積が約半分、白か黒と定められていた。当然、黒×赤の「エアジョーダン1ブレット」は規則に違反している。毎試合履くと、日本円にして約62万円の罰金を支払うことになるが、「ナイキ」は逆手に取りそれが宣伝効果があるとして毎試合の罰金を肩代わりしたそうだ。他にも、「NBAはジョーダンにシューズの着用を禁止したが君たちが履くことを禁止できない」といったCMを放送するなどして注目の的となったが、マイケル・ジョーダン自身は「これは履きたくない。何故ならこれはデビルの色だからだ」と言うように大学時代のライバルノースカロライナ州丘大学のチームカラーを表す「エアジョーダン1」を嫌っていた。

このように数々の歴史と共に歩んできた「エアジョーダン1」はいま現在でも愛し続けられている。中でも、「エアジョーダン1ブレッド」、「エアジョーダン1シカゴ」の人気は絶対でこれからもスニーカーの歴史に名を刻み続けるだろう。2022年秋にシカゴが復刻するなど目が離せない。「エアジョーダン1」を振り返ったことで魅力を再確認できただろうか。

キングオブスニーカー「エアジョーダン1」の誕生までの歩み
(画像=「NIKE」Air Jordan 1 Retro Bred 2001,『SEVENTIE TWO』より 引用)
キングオブスニーカー「エアジョーダン1」の誕生までの歩み
(画像=「NIKE」Air Jordan 1 Retro Royal 2001,『SEVENTIE TWO』より 引用)
キングオブスニーカー「エアジョーダン1」の誕生までの歩み
(画像=「NIKE」Air Jordan 1 Chicago 1994,『SEVENTIE TWO』より 引用)

文・粟津原晟名/提供元・SEVENTIE TWO

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