スーパーカー世代の憧れのひとつに、ランボルギーニ・ミウラが挙げられるでしょう。フェラーリに対抗すべく1963年に興したランボルギーニ社によって1966年から1973年約750台が生産されたスーパーカーです。このミウラの改良・実験車両として1台のみ開発されたのが「イオタ」です。この伝説の「イオタ」が名古屋のディーラーで販売中との事ですが、真偽のほどは…!?
Chapter
世界でたった一台のみ!イオタ(Jota)
イオタの悲劇的な最期…
ランボルギーニ純正の「イオタ・レプリカ」の存在…
イオタSVRの正体…
【動画】イオタ SVRのエンジン音!
世界でたった一台のみ!イオタ(Jota)
冒頭記したように、ランボルギーニ「イオタ」は、「ミウラ」の改良のための走行実験を行うモデルとして、1969年に「一台のみ」開発されたものです。
そもそもベースの「ミウラ」は、ベルトーネによる美しいデザインの2シータークーペ。これに3.9LV型12気筒エンジンをミッドシップに横置きし、350馬力を発揮したそうです。車重わずか980kgだったため、トップスピードは300km/hも可能…と言われています。
これだけ素性の良いマシンをさらに改良したイオタは、ランボルギーニの走行実験責任者だったボブ・ウォレス氏らが、レース参戦を想定して製作したワンオフの実験車両とされています。明確に「レーシングマシン」として開発していないのは、当時ランボルギーニ社が、「レース出場禁止」を社是としていたからなのだそうです。意外な話でもありますね…。
さて、この「限りなくレース仕様のマシン」であるイオタには、ミウラと同じ3.9L V12エンジンが搭載され、オイル供給方式はドライサンプに変更、圧縮比は11.5に向上させ、キャブレターの刷新により最高出力は440ps/8,500rpmというスペックを発揮。
また安全装備として、消火器やキルスイッチを装備。これは、車名のモチーフとなったFIAの競技規定 「付則J項」を満たすためだったといわれています。
イオタの悲劇的な最期…
前述のオリジナル「イオタ」はボブ・ウォレス氏のチームによって走行実験を行なった後に、シャシーNo.4683を与えられ1972年8月に売却されています。その後数人の手に渡ったようなのですが、アルフレッド・ベルポナーという人物が購入した際、納車前にテストをしていた自動車販売業者エンリコ・パゾリーニ氏がミラノにて高速テスト中、横転して炎上…。この貴重なイオタ(J)は再生不可能、廃車になってしまったのです。(乗っていたエンリコ・パゾリーニ氏は命に別状なかったようです。)
この廃車になった残骸はランボルギーニが回収、貴重なエンジン等、使えるパーツを回収・再生して別の個体に使用したとの事。
つまり、この世にオリジナルの「イオタ」はもう存在しない、というのが結論です。では、名古屋にあるという「イオタ SVR」とは一体どういったものなのでしょうか!?