私が記者になった頃、政治の最大の課題は「官僚政治の権力増大化」だった。一言で言うと官僚が大きな政策も小さな補助金も全て決めてしまうという状態だった。中でも予算を握る財務官僚が全官僚を指揮する様だった。

財務官僚がどれ程の権威を持っていたかを示す逸話がある。私がまだ政治部のデスクを補助していた頃だが、さる大蔵(当時)次官が退職した。四谷辺りの官舎に住んでいたのだが「引っ越しが大変なので住んでいる官舎を俺に売れ。代わりに新しい官舎を近所に買え」という。

この事実をどういう原稿にすべきかデスクで議論した。中には「どこが問題なのか」という顔をしたデスクが半分程いた。私が「価格は誰が決めるのですか」と聞くと、さすがに「これは問題だ」という話になった。結末は覚えていないが、今ならクビになるような要求だった。官僚たちは、周囲を黙らせるほど大きな顔をしていたのだ。

政策を決めるのは各省のキャリア官僚だった。農水省の下っ端キャリアの雑談を聞いている時にそれを目の当たりにしたことがある。当時、財政は金欠状態で農村に回す金などなかった。若いキャリアが、農協が持っているカネ(9兆円位)に金利をつけて配るのはどうだと言うのである。「いい考えですね」と賛同したら、数日経って「あれで決まりました」と仁義を切ってきた。その後「農業近代化資金」が、農村を金びたしにした。

小泉純一郎元首相は郵政大臣に就任した最初の会見で「郵貯の限度額を増やさなくていい」と官僚の主張を否定したばかりに徹底的に官僚に干された。その後、小泉氏は首相になると、郵政省潰しの解散に打って出て、見事に仇を討った。

60年代の池田内閣時代は通産省(経済産業省)の全盛時代だった。新任の福田一通産大臣は、通産省推薦の佐橋滋氏を次官にしないと頑張った。大きな騒動の末に、福田氏が大臣を辞めてから佐橋氏が次官になるという話になった。福田氏に裏話を聞いたことがあるが、「彼は非武装中立論者だ。そんな者に日本を支配して貰っては困る」と語っていた。

「官僚体制は効率が悪い」と、政治の側から攻撃を仕掛けたのが中曽根康弘元首相である。国鉄は分割民営化によって、毎年2兆円、累積27兆円あった赤字が一掃された。

現在は官僚体制が政治体制を支える形になっている。この形を決定づけたのは安倍晋三内閣が作った内閣人事局制度だろう。それまでのキャリア人事は各省が握っていた。従って福田・佐橋事件などが起こるのだが、参事官級以上のキャリアの任命については「内閣人事局」の了承を得る。その内閣人事局は内閣官房副長官が握っている。

安倍晋三氏が悩んだのは予算を財務官僚に全部握られているため、思うように政治が出来ないことだった。そこにアベノミクスという別の道を拓けば財政に余裕ができる。安倍政権時代にようやく官僚の横暴が消えたのではないか。

(令和4年8月17日付静岡新聞『論壇』より転載)

「官僚政治」から脱却したか(屋山 太郎)
(画像=『アゴラ 言論プラットフォーム』より 引用)

文・屋山 太郎(ややま たろう)/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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