従来説では足りない背景を浮き彫りにした研究の書

『牟田口廉也とインパール作戦』は、軍事組織と文化に対する素養のない私でも理解できる丁寧な説明で、上記のような疑問点を一つ一つ解き明かしてくれます。

出版社サイトで同書は、次のように紹介されています。

(略)作戦はどのような経緯を経て実行され、なぜ失敗に至ったのか?数々の思惑がぶつかり合ったインパール作戦は、「牟田口=悪」という単純な図式には回収できない。牟田口の生涯を追い彼の思想や立場を明らかにしつつ、作戦が大本営に認可されるまでの様々な人物・組織による意思決定の過程を分析する。

(光文社新書サイトより引用)

「数々の思惑」、「単純な図式には回収できない」、「さまざまな人物・組織による意思決定の過程」とありますが本当に複雑です。同書を読んで、それらがよくわかりました。

簡単に言うと、インパールというインドの小都市は、ビルマ(現ミャンマー)北西部とインド北東部の国境付近に位置します。そのため大東亜戦争当時、“大東亜共栄圏”の西端ビルマの守備を固め、インドにまで拡大できるかどうかという政略と戦略の両面から重要な意味を持つエリアとなりました。

ここに三国軍事協定、独アフリカ軍団の活躍と敗退、イタリアの降伏、日本の戦争終結論理や大東亜共栄圏と自由インド仮政府(チャンドラ・ボース)などの国際情勢と国内政治の動向が複雑に絡み合います。これまで私達一般人は対米戦争の強烈な光に幻惑され、対英戦争の局面を軽視していた傾向がありました。

この『牟田口廉也とインパール作戦』を読むことで、大東亜戦争を理解する上で不足していた知見を十分に補充することができるでしょう。

自己検閲という呪縛を祓う『牟田口廉也とインパール作戦』
(画像=『牟田口廉也とインパール作戦』を読むと理解可能となる、作戦認可に至る過程の時系列推移図
筆者作成、『アゴラ 言論プラットフォーム』より引用)

読後“自己検閲”という呪縛が可視化された

ところで、戦慄の記録 インパール – NHKスペシャル – NHKの初回放送は2017年であり、当時も私は視聴しておりました。今年8月にもこの番組を(5年ぶりに)視聴し、加えて今年8月に初めて放送された「ビルマ 絶望の戦場」 – NHKスペシャル – NHKも視聴しました。今年はじめて気が付いたことがあります。

それは、今なお日本に残る、“自己検閲”という呪縛です。今年の放送は『牟田口廉也とインパール作戦』読後だったので気が付くことができました。

検閲は、戦前戦中は日本によって、戦後直後からはGHQによって実施されていました。特に「大東亜戦争」という呼称は、日本の政治的プロパガンダを含む用語として連合国軍最高司令官総司令部によって次のように排除されました。

(ヌ)公文書ニ於テ「大東亜戦争」、「八紘一宇」ナル用語乃至ソノ他ノ用語ニシテ日本語トシテソノ意味ノ連想ガ国家神道、軍国主義、過激ナル国家主義ト切り離シ得ザルモノハ之ヲ使用スルコトヲ禁止スル、而シテカカル用語ノ却刻停止ヲ命令スル

(昭和二十年十二月十五日連合国軍最高司令官総司令部参謀副官発第三号(民間情報教育部)終戦連絡中央事務局経由日本政府ニ対スル覚書)より引用、太字は引用者)

それが未だに日本には残っているのです。例えば2006年の衆議院では、次のような質疑が記録されております。

大東亜戦争の定義について(質問者:鈴木宗男議員)

(質問)五 政府は公文書に大東亜戦争という表記を用いることが適切と考えるか。
(答弁書) 公文書においていかなる用語を使用するかは文脈などにもよるものであり、お尋ねについて一概にお答えすることは困難である。

(平成十八年十二月八日 内閣総理大臣安倍晋三、内閣衆質一六五号第一九七号より引用)

上記の番組では、ビルマの独立には触れているものの、チャンドラ・ボースやインド独立に触れていません。加えて、三国軍事協定・独アフリカ軍団の敗退・イタリアの降伏・大東亜会議(とインド)など、背景となった重要事項にも触れていません。

まるで、視聴者である日本人から、「大東亜共栄圏という日本が戦争した大義」の存在を排除する残存意思が日本を覆っているかのように感じました。ただし、それが意図的なものが無意識の行為なのかは判別できません。

このことはしかし、「生存圏の確保をめぐり帝国主義的価値観で戦っていた当時の国際情勢とそのなかで日本はどう振舞ったのか」に関する知見を偏ったものにしてしまう可能性を感じます。

今後は、インパール作戦に限らず、島嶼戦や大陸における戦闘など他の作戦の意義や、陸軍全体、そして当時の状況を虚心坦懐に見直すことが大切になるでしょう。

最後に理解の助けとなる、作戦に参加した参謀の言葉を紹介します。(1956年8月「別冊知性」に掲載された『ビルマ・インパール作戦 インド進攻の夢破る』の再掲載文書より引用、太字は引用者)

そもそも今次大戦の開戦決意に当たって、日本の戦争指導当局は、戦争の終末を重慶屈服と英国の脱落に期待していた。(藤原岩市元第十五軍参謀)

文・田村 和広/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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