2019年6月3日に金融庁が公表した金融審議会市場ワーキング・グループの「高齢社会における資産形成・管理」と題する報告書、いわゆる老後2000万円報告書には、高齢夫婦無職世帯の家計についての厚生労働省の調査に基づき、毎月の赤字額が5万5千円なので、30年では約2,000万円の赤字填補が必要だと述べられていた。

厚生労働省の調査によれば、高齢夫婦無職世帯の平均貯蓄額は2430万円となっている。老後2000万円報告書は、この貯蓄を取り崩すことで5万5千円の赤字を填補しているとしたうえで、2430万円もの貯蓄の形成経路について全く何の言及もないまま、年金生活に入るまでに、個人の自助努力として、少なくとも2000万円の貯蓄を形成しておく必要があるとの結論を導いたのである。

豊かな老後生活のための資産形成を推奨する金融庁
(画像=123RF,『アゴラ 言論プラットフォーム』より 引用)

金融庁、および政府の公式見解は、公的年金給付で最低生活保障がなされているので、5万5千円は豊かな生活のための追加支出の位置づけである。つまり、老後2000万円報告書の意図は、豊かな老後生活のために、勤労期間中に2000万円の貯蓄を自助努力で形成しようという国民に対する提言なのである。

金融庁が豊かな老後生活を推奨するのは、行政目的として、金融機能の高度化によって経済の持続的成長を実現することを掲げるなかで、経済成長の動因が消費にあり、その消費に占める高齢者の比重が大きい以上、当然のことだといわざるを得ない。

そして、より具体的には、資産形成、即ち老後の消費生活の原資を勤労期間中に積立てることの奨励が金融行政の課題となり、それを更に具体的な施策にしたものが税制優遇措置としての「つみたてNISA」となり、その「つみたてNISA」の恒久化を念頭に公表されたのが老後2000万円報告書であったわけである。

なお、いうまでもないが、経済の持続的な成長と国民の安定的な資産形成は相互規定関係にあって、経済の成長が資産価値の増大をもたらし、それが消費を刺激して経済の成長につながる、この好循環の実現が金融行政の目的とされているのである。

しかし、現実は、好循環ではなくて、悪循環である。余命が長期化すれば、老後生活の必要原資は増加するが、現に手元にある取り崩し可能な資産が増大しないのならば、その資産額を前提にして、生活のほうを倹約して切り詰めるしかない。実際、高齢者の資産は金利ゼロの預貯金に偏在するから、増えるはずもなく、増えない資産が消費抑制、倹約奨励に働いている可能性を否定できない。

悪循環を好循環に転じさせる、金融庁の行政課題は、この一点に収斂するのである。

文・森本 紀行/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

【関連記事】
「お金くばりおじさん」を批判する「何もしないおじさん」
大人の発達障害検査をしに行った時の話
反原発国はオーストリアに続け?
SNSが「凶器」となった歴史:『炎上するバカさせるバカ』
強迫的に縁起をかついではいませんか?