現代の義肢は、複合材料による精巧な外観や軽量化が実現し、ロボット工学の応用で、柔軟な指の動きも再現されつつあります。
また、義手を腕の神経とつないで、考えるだけで指を動かせる技術も実現されています。
これらはすべて、ここ数十年における技術革新の賜物ですが、義肢の使用は何も現代に始まったことではありません。
失われた身体を補う補装具は、数千年前にはすでに存在していたのです。
では、現状見つかっている「最古の義肢」とは、一体どんなものだったのでしょうか?
目次
最古の義肢は「約3000年前のエジプト」にあった
鋼鉄の右腕を持ったドイツ騎士「鉄腕ゲッツ」
最古の義肢は「約3000年前のエジプト」にあった
2000年に、独ルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘン(LMU)の考古学研究チームは、驚くべき発見をしました。
古代エジプトの都市・テーベのネクロポリス(巨大墓地)にて、木と革でできた約3000年前の右足の義指が発掘されたのです。
この義指は、「タバケテンムート(Tabaketenmut)」と呼ばれる女性貴族のミイラに装着されており、彼女の生きていた年代は、紀元前950〜紀元前710年頃とされています。
ゆえに、義指の製造年代も3000年近く前のことと考えられます。
学術誌『The Lancet』に掲載された2011年の論文では、「現状、おそらく最も古い義肢 」と述べられています。
また、似たような義指は同じテーベで他にも見つかっており、使用されているリネン(麻布)の分析から紀元前600年頃のものと推定されました。
先ほどの義指は木と革を用いていましたが、こちらは、リネンと石膏、樹脂を混ぜたものであることがわかっています。
このように古代エジプトでは、義肢の作成がすでに行われていたようですが、果たして実用性はあったのでしょうか?
これについて、英マンチェスター大学(University of Manchester)のジャクリーン・フィンチ(Jaqueline Finch)氏は、「古代エジプトの義肢は主に、埋葬時に故人の身体欠陥を埋めるための意味合いがあった」と指摘します。
古代エジプトでは、「死後の世界」の思想が非常に強かったため、故人の身体が無傷であることが重要視されました。
フィンチ氏は「棺の内側に刻まれた碑文(紀元前2055年頃)や、パピルスに書かれた死者の書(紀元前1550年頃)には、死後の世界で”故人の再生”が行われるよう、欠損した身体を補完する重要性について言及されている」と述べています。
そのため、遺体処理者は木や石膏、おがくず、泥、砂、リネンなど、あらゆるものを使って死者の身体の「隙間」を埋めたのでした。
それを証明するかのように、ミイラの棺からは、手や足の他に、鼻や性器をかたどった義肢まで見つかっています。
(古代エジプトでは、子孫繁栄が死後の世界でも可能な活動だと信じられていた)
ただし、これらの義肢が何の実用性もなく死者を飾るただの装飾品にすぎなかった、とは言い切れません。
フィンチ氏ら研究チームが、足の切断手術を受けた2名の患者さんに協力してもらい、古代エジプトの義肢のレプリカを装着してもらったところ、歩行の補助に有効であることが示されているのです。
つまり、これらの義肢は、宗教的な意味合いを持ちながら、実用性も兼ね備えていた可能性があります。
こうした義肢の使用は、古代人がいかに機知に富んだ生活を送っていたかを示すものですが、一方で、義肢の性能は、現代に至るまでそれほど進歩しなかったようです。
鋼鉄の右腕を持ったドイツ騎士「鉄腕ゲッツ」
義肢は(少なくとも)約3000年前から存在しているにもかかわらず、その後の数千年間で、あまり技術に進展が見られませんでした。
最も大きな変更は、木や石膏で作られていた義肢が「鉄製」に変わったことです。
中世ヨーロッパでは、騎士の鎧を作る鍛治職人が、特定の顧客のために義肢も作っていたことがわかっています。
興味深いことに、これらの義肢は基本的に、実用性重視ではなく、欠損部を隠すための外見重視だったようです。
鉄製の義肢を装着していた人物として最も有名なのは、中世ドイツの騎士、ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン(1480〜1562)でしょう。
彼は、1503年に起きたランツフート継承戦争にて、敵の大砲により、右腕の肘から先を完全に失ってしまいました。
しかし、彼は鉄製の義手を装着することで、その後も戦場に参加し続けました。
それ以来、彼は周囲から「鉄腕ゲッツ」の異名で知られるようになったそうです。
ゲッツは血の気が多く、戦いには首をつっこまずには居られない性分だったと言われています。
彼が使用した義手は実物が現存しており、ドイツのホルンベルク城の博物館にて保管されています。
初期の義手は簡素な作りでしたが、2代目になると指の部分にバネを搭載した高度なものとなり、左手で操作することで開閉ができるようになりました。
ゲッツは義手を手に、戦場を駆け巡ります。
ただ不幸なことに、火砲が著しく発達しはじめていたルネサンス期は騎士にとって生きにくい世界でした。
加えてゲッツは特定の君主を持たない「独立騎士」として生きていたため、経済事情は芳しくありません。
そのためゲッツは、自らの権利を戦って勝ち取ることを認めていた中世時代の法「フェーデ」を悪用し、表向きは正式な「決闘」の名のもとに弱者に対して強盗・恐喝・誘拐を繰り返し「強盗騎士」「盗賊騎士」と呼ばれるようになったと記録されています。
一方、略奪を行う敵軍から農民を守ったという記録も残っており、単なる輩(蛮族)ではなかった事実が伺えます。
そんな戦いに明け暮れていたゲッツですが、82歳で天寿を迎える前に置き土産を残していきました。それが自叙伝です。
彼の自叙伝はその後、あの有名な「ゲーテ」を感動させ、1773年にゲッツを讃える戯曲『鉄の手のゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』(Götz von Berlichingen mit der eisernen Hand)が作られたことが知られています。
なおこの戯曲は、モーツァルトも影響を受けており、戯曲中のゲッツのセリフである「俺の尻を舐めろ(Leck mich im Arsch)」をタイトルにした楽曲が作られています。
ゲッツの人生や戯曲のセリフとは不釣り合いな、美しい音色となっています。
鋼鉄の腕を持つ騎士ゲッツは、時代を超えて愛されていたのでしょう。
ゲッツの時代から400年、現代の義肢技術は格段の進歩をみせています。
ゲッツの時代は鉄だった材質も、シリコンやプラスチック、アルミニウムなどを組み合わせることで、患者の体格や患部にあったサイズや重さの義肢が製造可能になっています。
また、「義足装着者の自然な歩行をサポートする外骨格」まで開発されています。
さらには、「触れられた感覚がわかるロボットの指」の開発も進んでおり、義肢と肉体の繋がりはより親密になりつつあります。
今後、義肢のさらなる進化により、体の一部を欠損したとしても以前のライフスタイルを完全に取り戻すことも可能になるかもしれません。
参考文献
3,000-Year-Old Artificial Toe Reveals Ancient Origins of Prosthetics
元論文
The ancient origins of prosthetic medicine
提供元・ナゾロジー
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